シャーロック・ホームズのオマージュ趣向に加え、ディクスン・カーや島田荘司のお株を奪った「奇想+不可能犯罪」の連鎖が強烈なインパクトを残す長篇ミステリ『マスグレイヴ館の島』(二〇〇〇年)につづく〈慶子さんとお仲間探偵団〉シリーズ、ひさびさの二作めとなる中短篇集である。『マスグレイヴ館〜』と同じく、コナン・ドイルのホームズ作品ゆかりの楽屋落ちネタを装飾に、同時にまた、アガサ・クリスティの〈ミス・マープル〉シリーズを代表例とするコージー・ミステリないしはティータイム・ミステリを筋立てのいしずえとする一方で、各作品で扱われる事件の骨格は、まぎれもなく柄刀ブランドの刻印が押された、換言すれば尋常一様ではいかないトリック解明の謎に力点が置かれた硬質な本格ミステリのそれである。
多少なりとも異なる部分を見いだすとすれば、『マスグレイヴ館〜』が島にある館と岬という非日常的な舞台で発生する連続怪死事件がコージーないしはティータイムらしからぬ重厚感を漂わせていたのに対し、本書に収録された作品は、国籍も世代もバラバラながら、概してシャーロッキアン――シャーロック・ホームズという名探偵とその物語の熱狂的なファンをさす総称――というささやかな、だが唯一無二と言える共通項で固く結ばれた〈眠り姫〉慶子さんとその仲間たちのほのぼのとした日常的光景の移ろいに密着した正統派コージーないしはティータイムの香りを、馥郁(ふくいく)と、そしてかつ濃厚に漂わせている点だろう。つまり俯瞰して言うならば、従来の謎解きに対する硬質な柄刀らしさと、らしからぬ緩やかで柔和な物語的な要素とがじつに釣り合いよくまとめられた中短篇集なのだ。
もっとも、繰り返すようだが、事件の骨格はいずれの作品も一筋縄ではいかないトリックとロジックが織りなす「ド本格」と言っていい。収録作品は四つあり、そのうち、密室テーマの捻りの利いた利用法――プロットはシンプルながら、密室テーマを主軸に、フーダニットとハウダニットの解明が不可分に結びついた巧緻な手筋が光る構成――が冴えわたっている「女性恐怖症になった男」と「黄色い夢の部屋」。それから、迷子(迷鳥――マヨイドリ――?)の白インコ「ピヨちゃん」の豊富な声真似を手がかりに、ピヨちゃんの飼い主の居場所と陰惨な動物毒殺トリックをなしくずしに解き明かす表題作の短篇三作もすぐれた作品だが、出色はなんといっても、収録作品ちゅう唯一の中篇にして書下ろしの、あるいは不可能犯罪の重厚性という意味でも上記の三篇とはやや毛色の異なる「見えない射手の、立つところ」である。銃の製造、修理、改造、メンテナンス等を生業とするガンハウスの館の、不気味な西洋甲冑が飾られた一室で、衆人環視の中、突如銃殺事件が発生した。撃たれたのは二発の銃弾で、そのうちの一発が男に当たり、そのまま絶命。すべては一瞬の出来事だった。慶子さんをはじめ数人が弾を発射する瞬間の凶器を目撃していた。ところが、その凶器を手にした犯人は――いなかった! 拳銃が、それ自体が、まるで意志を持つがごとく空中に浮かんでいて、操る者はいないのに、被害者目がけて発砲されたのだ……
からくり自体は、一般論で言えば、この種のミステリのご多分に漏れることなくどうしても無理が付きまとう。いやむしろ、ナンセンスそのものだろう。だが作者は、フィクションという領域を融通無碍(むげ)に、そして縦横無尽に泳ぎまわるすべに、ことさら長けている。作者も、そのことに絶大な自信を持っているとみえる。ガンスミスの館という特殊な舞台とそれに由来する小道具、また逆に(ネタバレにつき反転)
低周波音(ここまで)トリックという風変わりな隠し球に加えて、そうした環境・背景によって鬱積されたいびつな人々の心模様を緻密に組み合わせて、「こういうシチュエーションなのであれば、例外中の例外として、ありうる」という、それこそ奇蹟そのものといっても過言ではない現象を、綱渡り的ながらしかし合理的に編み出すことに、作者は成功しているのである。まさに神が、下界の者を驚嘆させるべく、ほんの気まぐれから演出してみせたかのような奇蹟。逆説めいた、合理的な非合理のコンポジション。ありえないことなのに、答はでもそれでしかないという、フィクションという底知れぬ大海原を専門領域とする本格ミステリ作家としての柔軟さと誠実さを併せ持った、たしかな説得力。
文字どおり、不可能としか思えないイリュージョンが、溢れんばかりの叡智を総動員・収斂させて可能となる神がかり的な瞬間――それこそ不可能犯罪物のミステリ最大の読みどころであり、またこの中篇の醍醐味とも言えるだろう。傑作中の傑作である。
ところで、ぼくはさきほど「本書は正統派コージーないしはティータイムの良い香りを前面に押し出している」といったようなことを書いたが、より正確を期するのであれば、例外もあって、口に含んでみると――つまりは、謎を解いてみると――存外ビターな味わいが広がるといったことも、じつは少なくない。だがそれでいて、苦味が尾を引くといったことがほとんど感じられないのは、唯一無二の名探偵ではなく、その唯一無二の名探偵が登場する物語をあるいは批評しあるいは賛美する側である均等的もしくは相対的なシャーロッキアンで総じて構成された麗子さん(およびその家族)とその仲間たち――ときとして憎まれ口をたたいたり侃々諤々と意見をぶつけ合いながらも、それぞれを思いやり尊重しあうことだけは絶対に忘れない、ほんとうの意味で気心の知れた仲間たち――の国籍や世代を超えた、いかなる困難にも屈しない結束力や、ホームズをこよなく愛する作者の溢れんばかりの懸想がゆえに、ややもすればほろりとこぼれ落ちるひとしずくのユーモアが、仲間たちで協力しあって謎を解くという形式や大団円のはしばしに、前向きで優しいメッセージを伴って現れているからこそだろう。ラストに収録された「黄色い夢の部屋」にて複数の意味で意外な展開を見せ、また、ある一面では解明されない謎を残したまま幕を閉じることになるこのシリーズの行くすえもまた気になること請けあいの作品である。