人形はなぜ殺される 新装版 高木彬光コレクション (光文社文庫)人形はなぜ殺される 新装版 高木彬光コレクション (光文社文庫)
(2006/04/12)
高木 彬光

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 かのマリー・アントワネットの処刑に見立てた新作魔術の発表会で使われるはずだった“人形の首”が、衆人環視の楽屋のなかで、鍵のかかった白木の箱のなかから何者かに盗まれるという事件が発生した。おまけに箱のなかには、なぜか代わりに金髪のかつらが入れられていた。
 その直後、盗まれたはずの人形の首は、意外なかたちで発見されることになる。成城のある邸宅にて、くだんの新作魔術発表会でギロチン処刑の魔術を披露するはずであった魔術師とおぼしき女性が、皮肉にも実際にギロチンによって斬首されるという前代未聞の殺人事件が発生したのだが、その死体の首が持ち去られたうえ、奇妙にもその代わりといった案配に、あの人形の首がそばに転がっていたのである。
 この常軌を逸した犯人の一連の行動はいったい何を意味するのか? 真相解明に乗り出した名探偵・神津恭介だったが、天才と謳われるさしもの彼でさえ、今回ばかりは解決の糸口をつかむこともままならない。やがて、そんな名探偵を嘲笑うかのごとく、ふたたび人形がらみの殺人事件が発生。こんどは線路の上で、轢死体となりはてた女性とともに、同じく“轢死体”と化しバラバラとなった人形が発見されたのである――。
 横溝正史、鮎川哲也らとともに戦後の本格推理小説界の旗手として名高い高木彬光の『人形はなぜ殺される』(一九五五年)を再読。
 本書は高木作品の最高傑作との誉れが高い。実際それも納得のいくできばえであり、人形という本書最大のガジェットにまつわる不可解しごくな謎(魅力的な謎)を主軸に、トリックとプロットとロジックとが絶妙なバランス感覚でもって調和をなし、四〇〇ページを超す大作でありながら、謎解き推理小説としてまったく無駄がない作品に仕上がっているのだ。
 ギロチンによる処刑、降霊会、蹂躙された人形など、ジョン・ディクスン・カーばりの全篇に横溢する怪奇描写や、名探偵vs魔術師というミスディレクション重視の筋立ても、刺激的かつ魅力的な趣向だが、本書で何より特筆に値するのは、“人形”というガジェットが、舞台演出の範疇を超え、事件と不可分にまで融合している点である。“人形”というガジェットなくしては成立しない謎と殺人を扱っている、その点にこそ、本書ならではの醍醐味が凝縮されていると言っても過言ではないのだ。
 具体的に言えば、人形の首が盗まれた謎、人形の首と生首がすげ替えられていた謎、列車によって轢断されていた人形の謎など――これらの「なぜ?」をめぐる論理的考察が、そのまま、意外な犯人と意外な犯行方法を照らし出すのである。とりわけ、第一の殺人の人形の首と生首がすげ替えられていた謎の処理のしかたや、第二の殺人における(ネタばれにつき反転)アリバイ(ここまで)トリックは、半世紀過ぎたいま読んでもまったく色あせない、独立不羈(ふき)の輝きを放ちつづけている。
 こうして見ていくと、『人形はなぜ殺される』というタイトルが、本書の本質を如実に示していることは火を見るよりもあきらかである。人間、ではなく、まさしく人形が「殺され」たことに対する「なぜ?」をめぐる論理的考察が、一連の謎を解く何よりものよすがと言えるのだから。
ベティベティ
(2006/05/17)
ヘルメット

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 90年代のオルタナ/へヴィ・ロックシーンを牽引した奇才ペイジ・ハミルトン(ギター、ヴォーカル)率いるヘルメットのサードアルバム(94年)を聴く。
 鋼鉄リフとドラムによるアグレッシヴかつグルーヴィングなユニゾンを前面に押し出したサウンドが衝撃的だった前作『ミーンタイム』(92年)と比較すると、かなり洗練されたつくり。したがってインパクトは比較的薄れた感じは否めないけれど、そのかわり音楽性のヴァリエーションは広がりを見せ、彼ら(とくに、ジャズ、クラシックを正式に学んでいたという異色のキャリアをもつペイジ・ハミルトン)の深遠な音楽知識や理論が最大限に生かされた実験的かつ前衛的な内容となっている。
 実際、『ミーンタイム』の路線を期待して本作を聴くと、インパクトやキャッチーさが後退したぶん、当初こそ肩透かしをくらわされた感じがしたものの、しかし何度か聴いているうちに、いつの間にかそのサウンドの尋常ならざる緻密なテクスチャーの数々に唸らされていた自分がいた。これ、いわゆるスルメ的な味わいをもったアルバムってやつ。プログレッシヴなロックサウンドに飢えているかたは、ぜひお試しあれ。


      
 
死者たちの礼拝 (ハヤカワ・ミステリ文庫)死者たちの礼拝 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
(1992/07)
コリン デクスター

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 セント・フリデスウィーデ教会の礼拝のさいちゅうに、ハリー・ジョーゼフスという教区委員が刺殺されるという事件が発生した。さらに翌月には、聖餐会を終えた直後にライオネル・ロースンという牧師が教会の塔から謎の墜死を遂げた。
 休暇を持て余していたテムズ・バレイ警察勤務のモース主任警部は、刺殺事件と墜死事件とのあいだに何らかの因果関係があるとみて、単独で捜査を開始する。だが、一連の事件関係者は、なぜかみな姿をくらましており、捜査は遅々として進まない。さらに教会の塔で事件関係者とおぼしき男の腐乱死体が発見され、事件の様相はますます混迷をきわめていくのであった――。
 アクロバティックな推理展開に力点が置かれた作風に定評がある英国の人気パズラー作家コリン・デクスターの四作め(一九七九年)である。
 最初の三作(『ウッドストック行最終バス』(一九七五年)、『ギドリントンから消えた娘』(一九七六年)、『ニコラス・クインの静かな世界』(一九七七年))と比較すると、プロットはずいぶんすっきりとした印象。ただ、メインの仕掛けには、いわばからめ手から攻める感じの大胆なトリックが駆使されていて、ネタが明かされた瞬間は、いっとき不意打ちをくらわされたような感じさえするほどである。ところが、再読してみると、あちこちに重要な伏線がさりげなくも豪胆にちりばめられていたことに気づき、驚かされる。かなり巧妙に配されているため、初読時にそれらが伏線であると気づくのは難しいはずだ。それに、結末の意外性よりも、遊戯精神が色濃く反映された厚みのある推理過程を重視するデクスター本来の作風が一種のミスディレクションとして作用している影響もあるのだろう。
「事件関係者がみな行方不明」という一種のギミックが、あるいは謎解きの手がかりとして、あるいはミスディレクションとして効果的に作用しているのもすばらしい。とはいえ、最初の三作よりも「変態パズラー」(©法月綸太郎)の度合いが相対的に抑え気味だと思うので、物足りなさを感じる読者もいるかもしれない。それでも、どちらかと言えば「トリックの衝撃力」に重点を置いた作風で別種の「驚き」をいみじくも体現してみせた本書におけるデクスターの功績も、これはこれとして高く評価されてしかるべきだろう。
 

 海外学力検定試験委員会の新たな審議委員としてニコラス・クイン氏が選ばれたのは、まさに異例と言えるできごとであった。というのも、彼が極度の難聴で、会話をする際には読唇術だけが頼りという身体障害者だからである。それでも、彼が選ばれたのは、ひとえにその優れた知力と誠実な人柄が高く買われたからであった。
 ところが、その三ヶ月後、クイン氏は毒殺死体として発見される。他殺らしいのだが、それにしても、人当たりがよかったうえに、極度の難聴であった「安全無害」の彼に、殺される理由があったとは考えがたいのである。
 オックスフォードはテムズ・バレイ警察勤務のモース主任警部は、部下のルイス部長刑事とともに捜査を開始するが――
 七〇年代以降の英国パズラーを復権させた第一人者と言っても過言ではないだろうコリン・デクスターのモース警部シリーズ三作め(一九七七年)である。事件の謎に対して、探偵役のモース警部が仮説論理の提示とその論理的検証をくり返し、試行錯誤を重ねながら徐々に徐々に真実へと迫っていくという濃密な推理過程――いわゆるところの「論理のアクロバット」――に重点が置かれたデクスターの特徴は本書でもいかんなく発揮されている。
 ポイントは、被害者の身体的特徴が謎解きの中枢にかかわってくるという独創的な論理展開にある。これがみごと、「なぜ被害者のような『安全無害』な男がわざわざ殺されなければならなかったのか?」という本書最大の謎と合理的な邂逅を果たすのである。
 もう一つ、本書ならではの長所をあげるとすれば、それは結末の意外性だろう。「推理過程は充実しているのだが、結末の意外性はおろそかになりがち」というデクスター評をよく目にするのだが、本書では、「論理のアクロバット」の操作加減が絶妙で、モースが仮説論理を提示すればするほど、犯人らしき人物が次々と浮かび上がっては容疑が転々とする仕組みになっているため、最終的に明かされる真犯人の意外性が効果的に高められているのだ。容疑者の数自体はかなり限定されていながら、これほど犯人探しを充実させているのには脱帽する。デクスターの面目躍如と言える作品だろう。
樹霊 (創元推理文庫) (創元推理文庫 M と 3-1)樹霊 (創元推理文庫) (創元推理文庫 M と 3-1)
(2009/09/30)
鳥飼 否宇

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 本書『樹霊』(二〇〇六年)は、鳶山久志と猫田夏海が活躍するシリーズ四作めである。このシリーズの特徴である、ネイチャー(自然)と謎解きミステリを結合させるという手法にますます磨きがかかった好内容に仕上がっている。
 取材で北海道の巨樹をめぐっている植物写真家の猫田夏海は、土砂崩れにより数十メートルも移動した巨樹が、奇跡的に横倒しにならず立ったまま、というニュースを聞き、日高地方最深部の古冠村へ向かう。そこで彼女は、はからずも、「神の森ワンダーランド」というテーマパーク建設のためにむごたらしく乱開発された森を目撃する。古冠では、アイヌの古きよき伝統を守ろうとする道議会議員側と、古冠最大の建築業者・私市組が開発をめぐって抗争を繰り広げている最中であった。
 そんな不穏な空気に感化されたかのように、古冠村では不可思議な事件が立て続けに勃発する。アイヌ代表の同議会議員の失踪、街路樹であるナナカマドの謎の移動、さらにはハルニレという巨樹が沢沿いから尾根筋へ移動するという前代未聞の怪事などなど。そして、ついには殺人事件が発生し――
 あまつさえ容疑者にされてしまい途方に暮れた猫田は、旧知の“観察者”鳶山久志に助けを求める。
 同議会議員の失踪、ナナカマドの謎の移動、下から上へ移動したハルニレという物理法則を超越したかのような前代未聞の謎、殺人事件などなど――これら一見してそれぞれが独立しているように見える多面的な現象を、作者は、自身が私淑するG・K・チェスタートンの有名な逆説「木の葉は森に隠せ」を応用した大胆な発想とトリックでもって一本の糸に結びつける。それこそ鳥飼否宇の面目躍如なのである。人を食ったようなミステリとしての技巧と、テーマとして選んだアイヌの地の特性もろもろが密接不可分に結びつく。たとえば、「通常なら絶対成立しない(露見しやすい)はずの仕掛けが、しかしあるアイヌの因習を通すことによって成立してしまう」などといった盲点をつくような仕掛けも、ネイチャーに通暁するこの作者ならではのくふうと言えるだろう。
 犯行方法も大胆にして斬新であれば、犯行動機もしかり。そこには、二項対立となまじそれを俯瞰(ふかん)する立場にいる者が陥りがちな「抗争それ自体がいつのまにか目的と化してしまっている」現象に対する社会的な警鐘も示されており、本書のネイチャーミステリたる一筋縄ではいかないゆえんをいっそう深めている。
 昨夜放送された国民的人気アニメ「サザエさん」の40周年を記念した実写版スペシャルドラマを視聴。
 視聴率20.9%だったそうで。さすが「サザエさん」だ。
 実際おもしろかったと思うし、キャスト陣もすばらしかったと思う。たとえば、観月ありさのサザエは堂に入ってたし(ただ、美人すぎるサザエだなーっていう違和感はちょっとあったけど・笑)、片岡鶴太郎の波平など、演技面はおろか、外見的にも怖いくらい(こら)もろに波平って感じで。
 もっとも、そのリアル波平で、若干違和感をおぼえた部分も。というのも、片岡さん演じる波平がしゃべる際、ときおり「〜じゃ」という典型的ともいうべきじいさん口調の語尾が聞きとれたのだけど、ああいう語尾をアニメでの波平は使ってたっけ? と思ったもので。たしか、一貫して「〜だ」という語尾だったような気が――
 いや。「サザエさん」好きのぼくでも、よもやこれまでに放送された話をすべて見逃さず観ていたわけではないし、たとえぼくがこれまでに観た話に限定したとしても、単にぼくの記憶が定かでなく勘違いをしているということも考えられるわけで、だから断言はしないけれど。
災厄の紳士 (創元推理文庫)災厄の紳士 (創元推理文庫)
(2009/09/30)
D・M・ディヴァイン

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 本書『災厄の紳士』(一九七一年)は、六〇年代を中心に英国で活躍したパズラー作家D・M・ディヴァインの邦訳七作めにあたる作品である。「2008本格ミステリベスト10」の海外ランキング第2位に選ばれた『悪魔はすぐそこに』(一九六六年)、「2009本格ミステリベスト10」で堂々の第一位に選出された『ウォリス家の殺人』(一九八一年)につづいて刊行された。基本的には、これまでどおり、ニコラス・ブレイクやエドマンド・クリスピン、マイケル・イネスなどに代表される四〇年代以降の「英国新本格」の流れを汲む作品なのだが、コン・ゲーム小説と精密な本格ミステリの組み合わせという野心的な趣向がみごと決まっている。
 著名な作家エリック・ヴァランスの美人令嬢アルマは、ひょんなことから、ネヴィル・リチャードソンという美青年と知り合い、恋に落ちる。昔気質な父エリックの圧力が原因で、幼なじみにして婚約者ハリー・フレデリクスとの婚約が破談になった矢先のことだった。
 だが、このネヴィルという男、じつは筋金入りのジゴロであった。根っからの怠け者で、齢二十七を過ぎたいまもなお堅気の職を持たない彼は、さる筋からの教唆により、アルマの傷心に付け入って一攫千金をもくろもうという魂胆なのだ。
 当初こそ、典型的なお嬢さまであるアルマのわがまま気質や、情にほだされやすく男にだまされがちな彼女を懸念するしっかり者の姉サラなどの猜疑の目に手を焼くネヴィルであったが、それでも陰でとりしきる“共犯者”の的確な指示により、ことを着実に進めていく。
 そして、計画がぶじ完遂――したかに見えたそのとき、ネヴィルに思いもよらぬ災厄が降りかかるのであった――。
 序盤は主としてネヴィルの三人称視点でコン・ゲーム小説調に進行していく筋立てなのだが、中盤あたりからは一転、アルマの姉サラと首席警部ボグの三人称視点による“共犯者”探しを軸としたフーダニット(犯人当て)小説と化すのが大きな特徴である。その“共犯者”探しを効果的に演出しているのは、いわゆるレッド・ヘリング(偽の手がかり)のテクニック。
 ディヴァインの作品では、家族や近親者や恋人などといった、近しい間柄にある者どうしの複雑でやや歪んだ心理や背景が、じつに生々しく、子細に描かれている。本書でも、流行作家エリックの財産目的でアルマとの婚約を交わす実弾主義者のハーリー・フレデリクスをはじめ、ひと癖もふた癖もある登場人物が多く登場するのだが、その多くの者が“共犯者”たりえるように読者の目の前で怪しげな立ち居振る舞いを見せ、けむに巻くのである。
 また、探偵役の推理によって徐々に謎が解かれていく過程をたどりながらも、肝心の犯人に関しては最後の最後に至るまで明かさないで、読者の不安や疑いを宙づりにするように仕組まれたフーダニット重視のプロットもディヴァインの特徴である。本書においては、レッド・ヘリングのテクニックを織りこんだフーダニットとしての趣向に、コン・ゲーム小説としての趣向を巧みに絡ませることで、読者にとっては想定外の人物が犯人としてあぶり出されるという、相乗効果を狙った野心的なくふうが凝らされている点が最大の読みどころと言えるだろう。
 頑迷固陋な父エリックや、冷笑的な態度をとりがちな夫アーサー、ハリーやネヴィルといった恋人に裏切られ自閉症気味の妹アルマなどに頭を悩ますサラをはじめとして、読者の感情移入を喚起させるような登場人物たちで織りなされる深みのある人間ドラマも読みごたえがある。もっとも、感情移入してしまったが最後、フーダニットの名手ディヴァインの術中から逃れられなくなるのだけれども。
ここに死体を捨てないでください!ここに死体を捨てないでください!
(2009/08/20)
東川 篤哉

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 本書『ここに死体を捨てないでください!』は、架空の地方都市・烏賊川市を舞台に、私立探偵の鵜飼杜夫、その弟子の戸村流平、鵜飼の探偵事務所のビルのオーナーである二宮朱美、それから、烏賊川市警察署の迷物コンビである砂川警部と志木警部といった、おなじみのメンバーが活躍するシリーズ最新長篇にして五作めにあたる。
 東川氏の作風といえば、レギュラーキャラクターたちとゲストキャラクターたちが一丸となって掛け合い漫才のごとく連発するボケとツッコミを盛りこんだユーモア小説と、大がかりなトリックをしつらえたロジカルで構築性の高い本格ミステリとが一体化した、ユーモア本格とでも称すべきクロスオーバーにあるのだが、本書も、結論から言うとその路線の延長線上にある作品だ。
 あたし、人を刺し殺したの! ――有坂香織は、妹の春佳からの連絡を受けて、妹が住むマンションの部屋におもむいたところ、見知らぬ女性の刺殺体に遭遇する。妹によると、とつぜん見知らぬ女性が押し入ってきて、彼女に向かって突進してきたため、気が動転したあまり、とっさに手元にあったナイフを手にしたという。そして気づいたときには、女性は彼女の足元で血を流しながら横たわり、絶命していたというのだ。
 妹はパニックに陥り、仙台に逃亡。香織は、成り行きで出会った馬場鉄男とともに、見知らぬ女性の車を使って、妹のかわりに事件を隠ぺいするべく死体遺棄をもくろむ。だが、遺棄するのに適当な場所がなかなか見つからない。そうこうするうちに、山奥までやって来て、ようやく、底なしで有名な「三日月池」に死体を車ごと沈めることに成功する。そのかわり、車という便利な移動ツールを失ったふたりは、山奥の夜道をさまよったすえ、どうにかこうにかクレセント荘というペンションにたどり着く――。
 いっぽう、私立探偵の鵜飼杜夫は、山田慶子という依頼人の来訪を事務所で待っていた。だが、面会の時間が過ぎても依頼人はやってくる気配がまったくない。依頼の電話の際、猪鹿村のクレセント荘というペンションにおける事件発生の予感を告げていた依頼人の身を案じた鵜飼は、弟子の戸村流平と二宮朱美とともに、クレセント荘へと向かう。
 かくして、香織たちと、鵜飼たち、それぞれの物語は、思わぬかたちで交錯する――。
 今日にいたっては、もはやお約束ごとの手法となった感はあるが、重要な伏線と一連のギャグや滑稽本じみた誤解の反復をさりげなく一体化させた独特の伏線芸といい、ラスト近くに至るまで作者の真のたくらみがどこにあるのかが判然としないプロットの運びといい、鵜飼をはじめとするレギュラーメンバーたちや香織をはじめとするゲストメンバーたちの思惑をはるかに超えたところから仕掛けられる大がかりなトリックといい、ミスディレクションに重点が置かれた完成度の高いプロットは本書でも健在。そのできばえは、作者の最高傑作との誉れが高いシリーズ前作『交換殺人には向かない夜』(二〇〇五年)に比肩しうるほどと言っても過言ではないだろう。エピローグで、鵜飼が今回の事件をふり返って、「自分たちは、終始何者かに操られていたかのよう」といったようなことを述懐するのだが、奇しくもそれは、作者のプロットを操る、その計算しつくされた手つきをそのまま象徴しているのである。
 また、本格ミステリとしての衝撃を担保する伏線の妙もさることながら、ユーモア小説としての“笑”撃を担保する、それ自体がギャグ要素をたっぷりと含んだ伏線などといった仕掛け(たとえば、鉄男がひょんなことから着ることになった、麻薬撲滅キャンペーンの「ダメ! 絶対ダメ!」といったスローガンをロゴにしたTシャツにまつわるくだり)もあり、そのくすぐりがめちゃくちゃおかしい。本書は、作者が本格ミステリに対してはもちろんのこと、お笑いそのものに対してもどこまでも貪欲であることが示されており、唸らされるのと同時に笑わされること必定の、一度で二度おいしいと言える一冊なのである。
 おまけ的なネタをひとつ。
 事件解明の途中で砂川警部が自信満々に披露したトリック解明の論理は、エラリー・クイーンの某名作の本歌取りと言える内容である。
 東川氏は、その論理を、いみじくもレッドヘリングに応用しているのだけれど、おそらくこれは、クイーンの愛読者である東川氏もクイーンを意識しながら織りこんだのではないかな? 

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ヒート・オブ・ザ・ナイトヒート・オブ・ザ・ナイト
(2004/03/24)
ジェフ・ローバー

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 スムース・ジャズ/フュージョン界の大御所、ジェフ・ローバー(キーボード、コンポーザー、プロデューサー)のアルバム(1984年)を聴く。
 A・O・Rやブラックミュージックのテイストをふんだんに盛りこんだ、ポップで、ファンキーで、メロディアスなフュージョン全開のサウンドがすばらしい。コロコロとなめらかに転がるようなローバーの華麗なキーボードワークもさることながら、ローバーとモーリス・スターによるサウンドプロダクションも肌理(きめ)が細かくて申しぶんがない。さらに参加ミュージシャンもネイザン・イースト、ポウリーニョ・ダ・コスタ、リチャード・ペイジ、フィリップ・イングラム、ジョン・ロビンソンなど、かなり豪華。どうりで、できが悪いわけがないのだ。
 25年前のサウンドだけれど、じゅうぶん現代に通じるサウンドとクオリティだと思う。たいへん、お薦め。

     
      
身代わり身代わり
(2009/09)
西澤 保彦

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 辺見祐輔の後輩にあたる曾根崎洋が、不慮の災難に遭い死亡するという事件が発生した。この事件には通りすがりの目撃者がいた。彼によると、深夜の公園で、曾根崎が女性に馬乗りになって、刃物で脅しながらいまにも性的暴行をくわえようとしていたところ、思わぬ反撃に遭い、その弾みで自分の腹を刺してしまったのだという。女性は行方不明。だが、事件発生直前まで、飲み会で曾根崎と酒を酌み交わしていた祐輔はどこか釈然としないものを感じとっていた。
 いっぽう匠千暁と高瀬千帆は、元同級生の明瀬巡査の葬式に出席していた。高校二年生の鯉登あかりが自宅のダイニングルームで絞殺体となって発見された事件が発生したのだが、おかしなことに、彼女の遺体のかたわらで同じく絞殺体に変わりはてた明瀬巡査が発見されたのである。しかもふたりの死亡推定時刻には四時間もの開きがあった。
 事件が発生したころの時間帯の明瀬巡査は、巡回ちゅうであったはず。巡回ちゅうの巡査が、あかの他人の家であるはずのダイニングルームで殺されていたという点に、事件を担当する佐伯刑事と七瀬刑事はまず引っかかるものを感じていた――。
 本書『身代わり』は、架空の地方都市・安槻市を舞台に、匠千暁(タック)、辺見祐輔(ボアン先輩)、高瀬千帆(タカチ)、羽迫由紀子(ウサコ)の四人の学生探偵が活躍するシリーズ長篇待望の六作めである。二〇〇〇年に刊行されたシリーズ前作『依存』以来、およそ九年ぶりとなる新作は、四人を中心に繰り広げられる丁々発止とした推理合戦は不変である半面、青春小説あるいは成長小説としての四人をめぐるドラマに関しては『依存』の後日譚という色彩が濃厚な趣向となっている(そのため、あとがきにもあるように、本書から当シリーズに入るというむきには不親切な内容となっているのは否めないけれど)。
 メインの仕掛けは、いわゆるところの(以下、ネタばれにつき反転) 交換殺人トリック――なのだが、興味深いのは、ひとくちに 交換殺人(ここまで)トリックといっても、通常のそれとはまったく別の切り口から仕掛けられていることだ。つまり、トリックそのものは決して珍しくはないけれども、そのトリックの扱いかたに新奇なくふうが凝らされているのである。おそらくこれは、ミステリ史上、前例がまったく見られないのでは?
 さらに驚かされるのは、多大な伏線の存在で、しかもその領域が、現象レヴェルにとどまらず、キャラクターの構造レヴェルにまで及んで周到に張りめぐらされていること。さらに言えば、その大量の伏線が、作者が私淑する都筑道夫氏のテクニカルターム「論理のアクロバット」(=登場人物や読者の先入観や錯覚を巧みに利用して、意外な結末を導くためのロジック――というよりは、むしろパズラー独特の遊戯精神が反映されたレトリックの運動性のこと)を経由し、少しずつ回収されていくに従って、幾重にも張りめぐらされたミスディレクションの罠が徐々に解かれていき、その結果、もともとの事件の様相を思いもよらない構図へとみごと組み替えることに成功していること。もっと細かい点を指摘するならば、事件解明で駆使されるロジックそれ自体にも、G・K・チェスタートン作品を彷彿とさせるような、意表をついた着想が多分に含まれていること。
 ともかく、そういった意味で、ぜひ再読してみてほしい。その微に入り細に入り編みこまれたプロットの運びにかならず驚かされるはずだから。
 このように本格ミステリとしての趣向に心血が注がれている一方で、『依存』以降の四人をめぐるドラマ展開に力点が置かれているのもファンとしては見逃せない点だろう。そういう観点から見ると、本書は『依存』のような重苦しさはなく、むしろ、前作までの物語を第一期と割り切って、新たなスタートを切る――その直前の前夜的エピソード、言い換えれば、第二期突入前の筆休め的なエピソードに落ち着いている印象が強い。何にせよ、今後の四人の動向が気になること請け合いの作品である。
 おまけ的なネタをひとつ。
 これまでのシリーズ作では準レギュラー的存在でしかなかった「コイケさん」が、本書では、レギュラーとまではいかずとも、これまでよりも頻繁に登場し、茶目っ気を振りまいてくれたのが、個人的にはうれしかった(笑)。

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エコール・ド・パリ殺人事件 レザルティスト・モウディ (講談社ノベルス)エコール・ド・パリ殺人事件 レザルティスト・モウディ (講談社ノベルス)
(2008/02/08)
深水 黎一郎

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 モディリアーニやパスキン、ルソーなど、20世紀前半にパリを中心に活動していた国際色豊かな個性派芸術集団「エコール・ド・パリ」の画家たちに魅了され、その画家たちにまつわる著書をものしたこともある、銀座の有名画廊の経営者・暁宏之が、世田谷にある自宅の自室で変死体となって発見された。現場は、ドアと窓、それぞれ内側から厳重に施錠された完全な密室で、一見自殺のように見える。だが、窓のかんぬきにいわくありげに血が塗りつけられていたり、庭に何者かの足跡が残されていたりと、不審な点も多く見られた。
 この不可解な事件を担当する警視庁捜査一課十斑の海埜(うんの)警部は、根なし草で自由気ままな甥・神泉寺瞬一郎の助力を得ながら、被害者が書いたという美術評論書を手がかりに真相を究明する。
 二〇〇七年に『ウルチモ・トルッコ 犯人はあなただ!』で第36回メフィスト賞を受賞し、デビューを飾った深水黎一郎氏の二作めである。デビュー作は、ある意味ややはったりじみた感じの一発ネタのトリックが斬新で強烈なインパクトを残す作品であったのだが、本書では逆に、きわめてオーソドックスな本格ミステリの結構でアピールしてきた。豪奢な邸宅で起きる資産家の変死、密室の謎、ひと癖もふた癖もある邸宅の人々、ニュートラルな立場を保った神泉寺瞬一郎という典型的な素人探偵、そして解決篇の手前で挿入される「読者への挑戦状」と、これぞ本格ミステリの王道! というべきガジェットで作品空間が彩られているのだ。そして、そのなかで、テーマである「エコール・ド・パリ」をめぐっての美術論の蘊蓄が、主に事件関係者と探偵役の神泉寺を通してあまねく語られていく。
 いっぽうで、そうした筋立ての合間合間に、被害者である暁宏之が書いたという設定の「エコール・ド・パリ」に関する美術書の抜粋(もちろんこれは深水氏のフィクションである)がいわくありげに再三にわたって挟みこまれている。あとがきで「仮にその架空の部分だけを抜き出しても、単独で存在価値のあるものにしなければ、面白くないと感じた」と書いてあるように、これがずいぶん凝ったつくりになっているのだが、じつはこの部分に、事件解決に必要となる伏線がびっしりと張りめぐらされているのである。そして、テーマである美術論と事件がもののみごと有機的に結びつく。それこそ、一+一=二と示すかのように、「エコール・ド・パリ」+殺人事件=『エコール・ド・パリ殺人事件』となる瞬間なのである。端正にしてまったく無駄がない、その構成。もしかりに、当初このごくごくシンプルなタイトルを見て、「味気ないタイトルだな。もっとくふうしろよ」と揶揄まじりに突っこみを入れていた読者がいたとしたら、ことここに至って、「なるほど、この内容なら、このタイトルにするよりほかないな」と考えを改めざるをえなくなること請け合いである。
 本格ミステリのオーソドックスな結構を遵守しながらも、ディレッタンティズムで染め上げることによって独自の境地を切り開いた野心作と評するのが妥当だろう。すでに上梓されている三作め『トスカの接吻』と四作め『花窗玻璃 シャガールの黙示』にも期待したい。
新参者新参者
(2009/09/18)
東野圭吾

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 本書『新参者』(〇九年)は、刑事・加賀恭一郎を主人公にすえたシリーズ八作めにして待望の最新作である。体裁は、いわゆる連作短編集であり、収録されている各短篇(九作品)は、初出時に、二〇〇四年八月号から二〇〇九年七月号までの長期にわたって「小説現代」誌にて不定期で掲載されたものである。
 内容はというと、「新参者」というタイトルが示すとおり、活動拠点を練馬署から日本橋署に移した着任したての加賀が、いまもなお江戸の風情を残す古き良き“人情の町”小伝馬町という、彼にとっては未知の土地で発生した殺人事件に対し、F・W・クロフツ作品や鮎川哲也作品の鬼貫警部シリーズさながら、いわば足を使って地道に捜査を続けていくことで真相に迫っていくという、リアリズムというか社会派の色彩を重視した推理小説である。
 日本橋小伝馬町の一角に建つマンションで、三井峯子という四十代女性の絞殺死体が発見された。被害者は交友関係が広くなく、ふだんつきあいのあった親しい人間はごくごく限られていた。また、被害者は温厚な人となりで知られており、被害者を知る周囲の人間の誰もが、彼女が人から恨みを買うことはありえないと断言する。だが、現場の状況は、強盗や強姦を目的とした犯行でないことを示していた。
 いったい彼女の身になにが起きたのか? 加賀は、真相を究明するべく、まずは昔ながらの小物問屋が軒を並べる下町で聞きこみを開始する――。
 本書でまず目を引くのは、加賀が個々の短篇で、基本的には事件の本筋と直接関係のないエピソードに首を突っこんでいる点だ。それどころか、個々の短篇は、事件の本筋とは直接関係のないエピソードでほぼ成り立っているとさえ言えるのである。それぞれの短篇で、事件の被害者である三井峯子のほかにクローズアップされる下町の人物が定められており、間接的に本筋と絡ませながら、その人物をとりまく職場事情や家庭事情にまつわる日常に埋没していたささやかな謎――いわば人情という謎を、加賀は積極的に解き明かしていき、それぞれに秘められた人情のドラマとそのなかに生きる人々の造形を鮮明に浮かび上がらせてみせるのだ。
 とはいえもちろん、連作という趣向を生かした全体のくふうが凝らされているのも見逃せない。一見それ自体が別種の推理小説あるいはドラマとして成立している短篇を追うごとに、じつは、それまでの短篇にさりげなく潜まされていた本筋の事件にかかわってくる伏線が巧みに、かつ、なしくずしに回収されていく。それに従って、物語がはじまる時点ですでにもの言わぬむくろと化している三井峯子の造形が、あたかも死という現実に逆行するかのように、じわりじわりと生気をおびて浮上してくるのだ。さらに最終章まで進めば、三井峯子の造形が本来の鮮明さを取り戻したのと同時に、おのずから犯人と犯行動機まで浮かび上がってくるさまを読者は見ることになるだろう。
 ところで、ふつう連作短篇集の趣向といえば、個々の短篇のクオリティを大切にしながら、それぞれの短篇に張りめぐらされていた伏線が最後の章に至ることではじめて回収されていき、それがそのまま意外な真相を浮かび上がらせるという、どんでん返しを重視したパターンが常道だろう。だが本書は、そうした常道とは一線を画している。まず、本書ではそもそも意外な真相というのがそれほど重視されていない。むしろ加賀よりも先に犯人や犯行動機を言い当てることもさほど難しくはないだろう。これはおそらく、作者が何よりも三井峯子をはじめとした小伝馬町に生きる人々の秘められた“情”を描くということを命題にしているからだろう。
 それから、個々の短篇どうしの結びつきがゆるいようでいてむしろ堅固である。それぞれが独自の人情のドラマに耽溺しているようなのに、偶然や誤解といった、そのなかに生きる人々の理解が及ぶよしもない不可知の領域で、この物語は微妙ながら密接に絡み合って一本の因果律を形成している。あたかも、作者が本書におけるドラマのつながりを、いみじくもドミノ倒しにたとえたように。あるいは、小伝馬町という下町に軒を連ねる、昔ながらの商工店のありさまのように。下町の商工店が軒を連ねているのは、その町に住む人々にとってはあまりにも当然の事象であるから、平素その密接なつながりを意識することはない。ところが、この町の新参者である加賀が、いざそれぞれののれんをくぐり、一見変化のない店内の光景にじっと目を凝らしてみると、じつは日常ならざる人情のドラマがそれぞれで展開されていたことに気づく。そして、そのそれぞれのドラマが、意外にも三井峯子というキーワードを拠点に、ちょうど軒を並べるかのように接近して建っていたことに気づく。――本書は、そんなたぐいの驚きを包みこんだ推理小説なのである。
 地上波で視聴。
 優勝はやはりと言うべきか、新星ジョルジオ・ペトロシアン。難なく優勝しちゃったね。あの打たれ強いことで有名な山本優弥を1ラウンドKO。そしてあのツータイムス・チャンピオンのアンディ・サワーになにもさせず判定勝ち。とんでもない選手を呼んじゃったね谷川さん(笑)。
 しかも、この記事によると、ノーダメージでサワー戦に臨んでいたように見えたペトロシアン、でもじつは山本戦で自分が放った攻撃で右手を負傷していたそうで。それでも危なげなくサワーを下したのだから、度肝を抜かれる。
 今年の大みそかの格闘技イベント「Dynamite」では、ペトロシアンと、その大会をもって引退する魔裟斗の試合が決定されたそうだけれど、さすがの魔裟斗もまったく穴が見えないペトロシアンが相手だと、分が悪いと言わざるをえない。すくなくとも、サワーに二敗している魔裟斗と、サワーに二勝しているペトロシアン――この対比をかんがみるのであれば、そう言わざるをえないだろう。さて、ペトロシアン戦に向けて魔裟斗がどう仕上げてくるか。試合が楽しみだ。

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