第38話「五代くん失恋?こずえが三鷹に急接近!?」を視聴。
 誤解の連鎖によってドラマが豊穣に、しかもこちらの予想をいい意味で裏ぎって展開される、というのがこの作品のおもしろさで、この回もしかり。
 ただし、こんかい気づかされたのが、原作者・高橋留美子さんの寛闊な<キャラ愛>。
 五代くんと響子さんだけじゃなくて、五代くんの好敵手、三鷹さんと、五代くんのガールフレンド、こずえちゃんにも等しく、高橋さんの慈愛があえかに、それでいて、しとどに降り注がれている。作者のある種ダークな人生観に裏打ちされた残酷さと哀しさのストーリー展開のなかにも、「でも、もう、笑うっきゃないよね」といった作者の温かさで包摂されていて。
 奥が深いアニメです。
 某動画配信サイトにて、高橋留美子原作の「めぞん一刻」(アニメ)、「第37話 アブナイ仮装大会!! 響子も過激に大変身!」を視聴。
 この回は傑作。話の内容じたいは、徹底しておバカ路線なんだけど、おなじみの主題、疑似家族をもちいた変化球が効いていて、見応えあり。
 それに、なんといっても響子さんのコスプレが、じつにすばらしい。うへへ。(使い切り大根みたいな体型のオバちゃんのコスプレは、さておき(笑))
 それにしても、高橋さんはガジェットの使いかたが巧みで、しかも変幻自在で(べつの回の「井戸」とか「卵」などなど)、毎回ほんとうに感心させられます。
 高橋留美子おそるべし。
 某動画配信サイトで、高橋留美子原作の名作アニメ「めぞん一刻」を観るのに、いまハマってます。リアルタイムで観てたわけではないんですが、名作といわれるだけのことはあって、よくできた作品だと思います。こういった恋愛ものってややもすればマンネリに陥りがちなものなのに、この作品は一話一話ごと、ほんとうに話がよく練られてて、微妙に変化に富んでいて。それに、響子さんがほんとにかわいい! そしてキレイ!
 ところで、さきほど二八話「響子さんもビックリ 私が賢太郎の父です!」を観て、両親に対して複雑な思いをいだく賢太郎に、みずからの子ども時代を重ね合わせて、はからずも考えさせられました。子どもっておとなが考えている以上に、じつはいろいろと(ある意味では、おとな以上に)考えているんだよなあ。親の心子知らずとはよく聞くけれども、子の心親知らずってことばがないのは、考えてみればヘンだよなあ、と。


 本書『青銅ランプの呪』(一九四五年)は、ディクスン・カーがカーター・ディクスン名義で発表した作品で、名探偵ヘンリー・メリヴェール卿(以下、H・M)の探偵譚としては十六作めにあたります。

 セヴァーン卿が率いるイギリスの考古学者たちの調査隊は、世界じゅうが注目するなか、エジプトのナイル川西岸の谷で、砂のなかに埋もれていた王墓を発掘するという歴史的偉業を成し遂げた。そして、その王墓からりっぱな青銅のランプが掘り出されたが、エジプト政府のはからいで、このランプはセヴァーン卿の娘で、調査隊の成員であるヘレン・ローリングの手に渡ることとなった。
 だが、帰国するため、カイロから空港のあるアレキサンドリアにむかう急行列車に乗ろうとする彼女のもとに、占い師だという怪しげな男があらわれる。アリム・ベイと名乗るその占い師は、その青銅のランプは神聖な遺物なので、国外に持ちださないでほしいと彼女に懇願する。しかし、その願いが叶わないとみるや、一転して不気味な笑みを浮かべながら、そのランプには持ち主が消失するという呪がかかっており、早晩、彼女は木っ端みじんに吹き飛ばされ、あたかもこの世に一度も存在しなかったかのようになってしまうだろうと警告した。
 呪などくだらぬ難癖にすぎない、イギリスへ帰ったら、セヴァーン・ホールの自分の部屋にこのランプを飾るつもりだと息まくヘレンだったが、あろうことか、セヴァーン・ホールの正面玄関の扉を開け、なかに入った直後、それこそ彼女は魔法のように消え失せてしまった。例のランプを、床に残したまま……

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 本書『弓弦城殺人事件』(一九三三年)は、不可能犯罪の巨匠、ジョン・ディクスン・カーがカーター・ディクスン名義(厳密に言えば、当初はカー・ディクスン名義で発表されたはず。どちらにせよ、カーが書いたことはバレバレですが)でものした記念すべき第一作。

 十五世紀の昔からこんにちに至るまで、奇跡的に崩壊もしなければ再建することもなくそのままに残った、イングランド東部の荒廃した海岸にのぞむ古城「弓弦城」。夜な夜な幽霊があらわれるといういわくつきのこの古城には、中世の武器や甲冑など、変わり者として知られる当主レイル卿のりっぱな蒐集品が陳列された甲冑室があるのだが、ふたりの客がおとすれたある日の夜、その甲冑室でレイル卿の変死体が発見される。甲冑室のとなりにある図書室では、くしくも客のひとりである英文学教授マイクル・テヤレイン博士が、甲冑室へと入ってゆくレイル卿のすがたを目撃しており、卿が死体で発見されるまでその出入り口を見張っていたのだが、そこから出てくる犯人の姿はなかった。とすれば、犯人はまだ甲冑室のなかにいるはずなのだが、密室状態の一室から犯人は煙のごとく消失していた……

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 クリスティと双璧をなす「もうひとりの女王」、ドロシー・L・セイヤーズの貴族探偵ピーター・ウィムジイ卿シリーズの第四長篇『ベローナ・クラブの不愉快な事件』(一九二八年)を読了。

 休戦記念日の晩。ベローナ・クラブにて、古参会員のフェンティマン将軍が、いすに座ったまま死んでいるのが見つかったが、おりしも同クラブを訪れていたピーター・ウィムジイ卿は、弁護士の話を聞いて愕然とする。故人には資産家となった妹がいて、かれとは長らく疎遠になっていたのだが、兄が自分より長生きしたなら遺産の大部分を兄に遺し、逆のばあいには被後見人の娘に大半を渡すという主旨の遺言をつくっていた。そして、くしくも、その彼女が同日の朝に亡くなっていたという。かくして、ピーター卿は、将軍の死亡時刻を究明するハメになり……

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 あけましておめでとうございます。
 本年の目標は、一日一殺(冊)。小説は生涯現役、本格ミステリ。
 というわけで、更新も多めにがんばるぞ。
 どうぞ、よろしくお願いします。


 アメリカの女性推理作家、ヘレン・マクロイの精神科医探偵、ベイジル・ウィリング博士シリーズの第八長篇『暗い鏡の中に』(一九五〇年)を読了。
 作者の最高傑作と称される作品ですが、なるほど、そういわれるのもわかる気がします。ぼくは、マクロイの全作を読破しているわけではないので、こういう奥歯にものが挟まったような言いかたになってしまいますが、たしかにこれも凄い作品。傑作です。

 ブレアトン女子学院に勤務して五週間の女性美術教師フォスティーナ・クレイルは、校長からとつぜん、解雇を言いわたされる。なんの理由も告げられることなく。
 このことに憤慨した彼女の同僚の女性ドイツ語教師ギゼラ・フォン・ホーエネムスは、その恋人で精神科医のベイジル・ウィリング博士に助力を乞う。理由を問いただすべく、ウィリング博士は校長のもとを訪れるが、そこであきらかになった<原因>は、かれの想像を絶するものだった……

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 江戸川乱歩が大絶賛した『赤毛のレドメイン家』(一九二二年)の作者イーデン・フィルポッツの『だれがコマドリを殺したのか?』(二四年)の新訳版を読了。
 眉目秀麗の医師ノートンは、海岸遊歩道で見かけた容姿端麗の娘、<コマドリ>というあだ名を持つダイアナに、一目ぼれする。ノートンは一念発起し、支配欲の強いおじの莫大な遺産を相続する権利を放棄するリスクを抱えてでも、ダイアナとの炎のような純愛に身を投じることを選ぶ。そのさきに、悲劇が待ち受けているとは知るよしもなく……

 フィルポッツが得意とする恋愛メロドラマに、盲点を突くようなシニカルな仕掛けが織りこまれた探偵小説。謎ときの興味は、作品タイトルが示すとおり、<コマドリ>ことダイアナを殺したのはだれなのか?
 シンプルな仕掛けに支えられた、シンプル結構なんですが、精緻をきわめた人物造形と背景描写、サスペンスの盛り上げかたがじょうずなので、着地がたいへんトリッキーに決まっている。意表をついたフーダニットもさることながら、ことにそれに付随するホワイダニット、つまり動機の問題にともなう読後感は、善と悪の通俗的な対比では咀嚼できないような含蓄にあふれていて、深く考えさせられるものがあります。

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 アメリカの女性推理作家ヘレン・マクロイのベイジル・ウィリング博士シリーズの第七長篇『逃げる幻』(一九四五年)を読了。

 第二次世界大戦をたくみに本書の時代背景としている点で、つまり(当時としての)「いま」を本格ミステリの形式に昇華している点で、同シリーズの前作『小鬼の市』(四三年)の延長線上にある意欲作です。
 山と谷に囲まれたスコットランドのハイランド地方を背景に、ひらけた荒野(ムア)から忽然と消えた少年。どこから見ても申しぶんのない環境下にある少年はなぜ、なんども家出をくり返すのか? これが本書のおもな謎ときのテーマ。
 のちの展開では、それから派生的にダイイング・メッセージと、密室殺人の謎も生じるんですが、なかでも興味深いのは、人間消失と密室殺人の処理のしかた。ふつう、どちらの謎も「どのようになされたのか」のハウダニットがおもな読みどころとなるはずですが、本書はさにあらず。デリケートな部分ですので、詳しくは触れませんが、とにかくこれ見よがしなトリックは、ここではもちいられていません。あくまでも犯人の意外性を中心にすえた、ミスディレクション重視のプロットを引き立てるための手段としてもちいられているのがミソ。

 ミスディレクション。そう、本書の凄みはミスディレクションです。語り手がウィリングでない(けれども、ウィリングとおなじく精神科医をなりわいとしているというところが、ある意味、皮肉な点でもあるんですが)ことからしてそうなんですが、それだけではありません。というのも、本書の裏テーマは<先入観>といえ、じっさい、本書では開巻早々から終盤にいたるまで、その<先入観>がさまざまな会話のなかに、たびたびとり上げられている。さりげなくも大胆に。それも、山と谷に囲まれた本書の舞台で、あたかもそれがこだましているかのように感じられるほど、自然なかたちで。そして、そういった作者のたくみな筆致、テクニックが、大戦、とりわけ欧州戦線における終戦直後という時代背景と有機的に溶けこんで、トリッキーでありながらも、一読忘れがたい余韻をのこす哀しき本格ミステリ(それは、一種の「陸の孤島」ミステリといえましょう)として、みごと仕上がっている。同シリーズ第三長篇『ささやく真実』(四一年)の解説で、若林踏さんがいみじくも「ヘレン・マクロイは「割り算と剰余の文学」を極めた人である」と書いていましたが、とりわけ本書の「剰余」は凄まじいものがあると思います。これまた傑作ですね。