本書『弓弦城殺人事件』(一九三三年)は、不可能犯罪の巨匠、ジョン・ディクスン・カーがカーター・ディクスン名義(厳密に言えば、当初はカー・ディクスン名義で発表されたはず。どちらにせよ、カーが書いたことはバレバレですが)でものした記念すべき第一作。

 十五世紀の昔からこんにちに至るまで、奇跡的に崩壊もしなければ再建することもなくそのままに残った、イングランド東部の荒廃した海岸にのぞむ古城「弓弦城」。夜な夜な幽霊があらわれるといういわくつきのこの古城には、中世の武器や甲冑など、変わり者として知られる当主レイル卿のりっぱな蒐集品が陳列された甲冑室があるのだが、ふたりの客がおとすれたある日の夜、その甲冑室でレイル卿の変死体が発見される。甲冑室のとなりにある図書室では、くしくも客のひとりである英文学教授マイクル・テヤレイン博士が、甲冑室へと入ってゆくレイル卿のすがたを目撃しており、卿が死体で発見されるまでその出入り口を見張っていたのだが、そこから出てくる犯人の姿はなかった。とすれば、犯人はまだ甲冑室のなかにいるはずなのだが、密室状態の一室から犯人は煙のごとく消失していた……

- more -


 
 クリスティと双璧をなす「もうひとりの女王」、ドロシー・L・セイヤーズの貴族探偵ピーター・ウィムジイ卿シリーズの第四長篇『ベローナ・クラブの不愉快な事件』(一九二八年)を読了。

 休戦記念日の晩。ベローナ・クラブにて、古参会員のフェンティマン将軍が、いすに座ったまま死んでいるのが見つかったが、おりしも同クラブを訪れていたピーター・ウィムジイ卿は、弁護士の話を聞いて愕然とする。故人には資産家となった妹がいて、かれとは長らく疎遠になっていたのだが、兄が自分より長生きしたなら遺産の大部分を兄に遺し、逆のばあいには被後見人の娘に大半を渡すという主旨の遺言をつくっていた。そして、くしくも、その彼女が同日の朝に亡くなっていたという。かくして、ピーター卿は、将軍の死亡時刻を究明するハメになり……

- more -

 あけましておめでとうございます。
 本年の目標は、一日一殺(冊)。小説は生涯現役、本格ミステリ。
 というわけで、更新も多めにがんばるぞ。
 どうぞ、よろしくお願いします。


 アメリカの女性推理作家、ヘレン・マクロイの精神科医探偵、ベイジル・ウィリング博士シリーズの第八長篇『暗い鏡の中に』(一九五〇年)を読了。
 作者の最高傑作と称される作品ですが、なるほど、そういわれるのもわかる気がします。ぼくは、マクロイの全作を読破しているわけではないので、こういう奥歯にものが挟まったような言いかたになってしまいますが、たしかにこれも凄い作品。傑作です。

 ブレアトン女子学院に勤務して五週間の女性美術教師フォスティーナ・クレイルは、校長からとつぜん、解雇を言いわたされる。なんの理由も告げられることなく。
 このことに憤慨した彼女の同僚の女性ドイツ語教師ギゼラ・フォン・ホーエネムスは、その恋人で精神科医のベイジル・ウィリング博士に助力を乞う。理由を問いただすべく、ウィリング博士は校長のもとを訪れるが、そこであきらかになった<原因>は、かれの想像を絶するものだった……

- more -



 江戸川乱歩が大絶賛した『赤毛のレドメイン家』(一九二二年)の作者イーデン・フィルポッツの『だれがコマドリを殺したのか?』(二四年)の新訳版を読了。
 眉目秀麗の医師ノートンは、海岸遊歩道で見かけた容姿端麗の娘、<コマドリ>というあだ名を持つダイアナに、一目ぼれする。ノートンは一念発起し、支配欲の強いおじの莫大な遺産を相続する権利を放棄するリスクを抱えてでも、ダイアナとの炎のような純愛に身を投じることを選ぶ。そのさきに、悲劇が待ち受けているとは知るよしもなく……

 フィルポッツが得意とする恋愛メロドラマに、盲点を突くようなシニカルな仕掛けが織りこまれた探偵小説。謎ときの興味は、作品タイトルが示すとおり、<コマドリ>ことダイアナを殺したのはだれなのか?
 シンプルな仕掛けに支えられた、シンプル結構なんですが、精緻をきわめた人物造形と背景描写、サスペンスの盛り上げかたがじょうずなので、着地がたいへんトリッキーに決まっている。意表をついたフーダニットもさることながら、ことにそれに付随するホワイダニット、つまり動機の問題にともなう読後感は、善と悪の通俗的な対比では咀嚼できないような含蓄にあふれていて、深く考えさせられるものがあります。

- more -



 アメリカの女性推理作家ヘレン・マクロイのベイジル・ウィリング博士シリーズの第七長篇『逃げる幻』(一九四五年)を読了。

 第二次世界大戦をたくみに本書の時代背景としている点で、つまり(当時としての)「いま」を本格ミステリの形式に昇華している点で、同シリーズの前作『小鬼の市』(四三年)の延長線上にある意欲作です。
 山と谷に囲まれたスコットランドのハイランド地方を背景に、ひらけた荒野(ムア)から忽然と消えた少年。どこから見ても申しぶんのない環境下にある少年はなぜ、なんども家出をくり返すのか? これが本書のおもな謎ときのテーマ。
 のちの展開では、それから派生的にダイイング・メッセージと、密室殺人の謎も生じるんですが、なかでも興味深いのは、人間消失と密室殺人の処理のしかた。ふつう、どちらの謎も「どのようになされたのか」のハウダニットがおもな読みどころとなるはずですが、本書はさにあらず。デリケートな部分ですので、詳しくは触れませんが、とにかくこれ見よがしなトリックは、ここではもちいられていません。あくまでも犯人の意外性を中心にすえた、ミスディレクション重視のプロットを引き立てるための手段としてもちいられているのがミソ。

 ミスディレクション。そう、本書の凄みはミスディレクションです。語り手がウィリングでない(けれども、ウィリングとおなじく精神科医をなりわいとしているというところが、ある意味、皮肉な点でもあるんですが)ことからしてそうなんですが、それだけではありません。というのも、本書の裏テーマは<先入観>といえ、じっさい、本書では開巻早々から終盤にいたるまで、その<先入観>がさまざまな会話のなかに、たびたびとり上げられている。さりげなくも大胆に。それも、山と谷に囲まれた本書の舞台で、あたかもそれがこだましているかのように感じられるほど、自然なかたちで。そして、そういった作者のたくみな筆致、テクニックが、大戦、とりわけ欧州戦線における終戦直後という時代背景と有機的に溶けこんで、トリッキーでありながらも、一読忘れがたい余韻をのこす哀しき本格ミステリ(それは、一種の「陸の孤島」ミステリといえましょう)として、みごと仕上がっている。同シリーズ第三長篇『ささやく真実』(四一年)の解説で、若林踏さんがいみじくも「ヘレン・マクロイは「割り算と剰余の文学」を極めた人である」と書いていましたが、とりわけ本書の「剰余」は凄まじいものがあると思います。これまた傑作ですね。


 アメリカの女性推理作家ヘレン・マクロイのベイジル・ウィリング博士シリーズの第六長篇『小鬼の市』(一九四三年)を読了。

 いやあ、凄い作品です。スパイ小説と本格謎ときミステリとが、みごと架橋されています。
 第二次大戦下のカリブの島国を舞台に、アメリカと敵対するドイツ、そして(タテマエでは)中立国スペインのスパイが、不審死をとげたアメリカの報道機関の支局長がのこした手がかり(暗号がちりばめられた本社宛ての電文、そして謎のことば「ゴブリン・マーケット」)をめぐって暗躍するさまが、サスペンスフルに展開。被害者の後釜にすわった謎めいたアメリカ人の主人公フィリップ・スタークと、勝気な女性特派員ミッチや、ミステリアスな現地の警察官ミゲル・ウリサール警部など、一癖も二癖もあるキャラクターたちの軽妙な、それでいて緊迫感にあふれた駆け引き、暗号解読の興趣、不審死をとげた記者がのこした手がかりを究明するスタークにふりかかる危機のかずかず、唐突なドイツの潜水艦攻撃など、息つくひまもないその結構は、幾何級数的なおもしろさ。

 とくに興味深いのが、その卓抜なスパイ小説的なサスペンスの効用です。たとえば、典型的な本格ミステリではよく、不可欠な要素として、発端の怪奇性(意外性)、中段のサスペンス、解決の意外な合理性、と三つにわけて挙げられますが、本書のばあいはその必要がありません。発端の怪奇性はともかく、サスペンスは中段どころか、解決篇に該当する探偵役による推理パートにまで浸潤し(その結果、みごとな推理を披瀝しているさなかの探偵役が、一転してある危機に陥ったりしている)、そこで探偵役によって意外な合理性が示され、犯人が特定されてもなお、幕引きが依然として不透明で、それこそ最後の最後まで予断を許さないという独特の筋立てになっているからです。
 
 もちろん、スパイの暗躍する大戦下、そして土着的な風習がのこるカリブの島国といった舞台の特徴をぞんぶんに生かしたツイストの利いた構成もおみごとですし、濃密な人間描写、描きわけが、犯人特定の重要な手がかりとなっているところも、マクロイならではの興趣に満ちみちている。
 そうか、こんなのも書けたのか。マクロイおそるべし! です。


 アメリカの女性推理作家ヘレン・マクロイの『家蠅とカナリア』(一九四二年)を読了。心理学的分析を持ち味とするベイジル・ウィリング博士の探偵譚をえがいたシリーズの第五長篇にあたります。
 
 本書はマクロイの代表作のひとつで、大戦下の劇場が事件の舞台、それも観客の面前で殺人がなされる、しかも容疑者は三人……という、大胆不敵でケレン味で横溢した劇場ミステリです。
 フーダニット(犯人当て)が謎ときの主要ポイントで、なんといっても、探偵小説マニアのあいだで語り草(?)となっている、一匹の家蠅と一羽のカナリアという突飛な手がかりによって犯人が特定されるという趣向が、独創的ですばらしい。
 でも、ぼくがそれよりもむしろ感心させられたのは、なぜ犯人は殺人を犯したのか? のホワイダニットの処理のしかた。ことに伏線が、一見なにげない言動のなかに複数、さりげなくも大胆に潜まされていて、該当箇所を読み返すと、あまりに微妙な部分での表現方法の巧妙さに、背筋がゾクゾクするような興奮をおぼえるほどです。
 
 しかし、それよりなにより本書が凄いと思うのは、演劇人たちのありようの個性的で、かつ精緻をきわめたマクロイの群像描写が、そのまま、この独創的な謎ときミステリの屋台骨となっているところです。つまり、ロジックよりもむしろプロット、そも劇場ミステリとしての完成度が、きわめて高いんです。じっさい、登場するキャラクターというキャラクターが、主要なのから端役にいたるまで、ことごとく個性的かつ魅力的で、印象に残るほどです。それはもはや、たんに主要キャラクターたちがおりなす舞台でくりひろげられる殺人劇、という次元を超越している。この作品じたいが舞台としてみごと成立していて、観客はこの作品の読者にほかならないんです。マクロイの筆力が冴え渡っている傑作です。


 アメリカの女流本格推理作家ヘレン・マクロイの第三長篇で、精神科医探偵ベイジル・ウィリング博士が登場するシリーズの三作めにあたる『ささやく真実』(1941年)を読了。
 後年、『ひとりで歩く女』(48年)や『殺す者と殺される者』(57年)など、サスペンスの傑作を多く手がけたマクロイですが、初期に書かれた作品では、純度の高い様式的な本格推理に挑戦していました。とりわけ本書は、マクロイの全作品ちゅう屈指の本格度を誇る作品として誉れ高く、事実、縦横にはりめぐらされた伏線と手がかりを駆使し、唯一無二の意外な犯人を照射するという、シンプルなプロットながら、無駄がなくディテールの詰まった、至高のフーダニットに仕上がっています。

 のみならず、このころからサスペンス性もじゅうぶん発揮されている。強力な自白作用がある怪しい薬を登場させ、それを自宅で開かれたパーティで悪用する富豪の美女クローディアと、その薬が原因で起きた悪夢的な暴露大会の被害者たちの構図が生みだす不穏なサスペンスが序盤から展開され、複雑な人間描写および心理描写に長けるマクロイのストーリーテラーぶりに舌を巻きます。しかも、事件発覚後、暴露大会の内容をあかすことを頑なに拒む、一癖も二癖もある登場人物たちがおりなす小サークルと、クールでスタイリッシュな精神科医探偵ウィリングの対峙のさせかたにも、マクロイは配慮が行き届いていて、それがレッド・へリングの操作、ひいてはラストの意外な犯人指摘の演出にいみじくも収束している。さらにいえば、ラスト一行の、どこか割り切れない、哀切をおびた犯人の独白の余韻。辛辣かつ犀利な人間観察に裏うちされた一筋縄ではいかない人間ドラマと、明朗な謎解きパズルのみごとな融合。こういう絶妙なバランス感覚は、マクロイならではと思わせてくれる秀作です。


 本業が大学教授に、アマチュア演劇の舞台演出、それから趣味が手品で、マジックの入門書も手がけていたというへイク・タルボットの賭博師探偵ローガン・キンケイドものの第二長篇『魔の淵』(一九四四年)を読了。
 英国の密室研究家ロバート・エイディーが「カーに匹敵する唯一の密室長篇をものした作家」と、このタルボットを絶賛。さらに、エドワード・D・ホックがアンソロジー『密室大集合』(一九八一年)を編むときにおこなったアンケートで、この『魔の淵』が不可能犯罪を扱ったベスト長篇の第二位に輝いた(なお、第一位がカーの『三つの棺』)という、知るひとぞ知る名作です。

- more -