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無念の内山高志、ジム会長に「済みません」メール 会長は再起を期待

 会長がいうように、これで引退というのはもったいない気がする。内山の動きじたいは悪くなかったと思う。ま、「トラウマ」のせいで慎重すぎたということはあるかもしれないが、でもそれは結果論。それをいうならむしろ、コラレスというトリッキーなアウト・ボクサーの変則性――内山のいつもの盤石かつ豪胆な戦法をも抑制させてしまう不気味なオーラ――を評価すべきだと、ぼくは思う(中南米系特有の「負けないボクシング」に徹するあざとさはあるけれども、ただ見かたを変えるなら、それとてうまさともいえるわけだし)。
 また、全盛期の内山なら勝てた、みたいなネットの意見も散見されるが、すくなくともぼくには、内山の(年齢による)衰えは感じられなかった(それに「全盛期」ってことばは、抽象的でとても便利であるがゆえに、安易には使いたくないのである)。だからこそ、これで引退というのはもったいないと思うのだ。
 願わくは、vsコラレス3を(想定していた勝ちかたではなかったせいか、コラレスも再戦OKだそうだし)。
 遅ればせながら、あけましておめでとうございます。
 ことしこそは、がんばって更新します。調子は上向きですので。読んだ小説の感想・批評も積極的に。
 では、よろしく(ぺこり)。
流血グスマン「あそこまでとは」小国の手数に脱帽

 この試合は、結果を知ってからユーチューブで視聴。
 正直、おどろいた。(過去に小國を破ったことがある)和氣慎吾(古口)があれだけボコられて完敗したのだから、ましてや小國の番狂わせというのはない。そして完敗した小國のことを、きっと千篇一律なマスコミなどが「試合に負けはしたが、心は折れなかった」などとバカの一つ覚えで精神主義的な巧言令色を施してもちあげるんだろうな、などと想像していたので。ええ、ぼくの管見にすぎませんでした。ごめんさない(ぺこり)。
内山高志、世界王座返り咲きならず!再戦も判定負け

 117-110の判定をくだした一部のへぼジャッジ(さすがにあれはヒドすぎる)や、内山の右ボディを受けて、生まれたての小鹿みたいに足に力が入らず、クリンチや確信犯的な(?)スリップダウンをくり返していたコラレスに減点をあたえなかったへぼレフェリーに泣かされた部分も否めなくて、正直、内山の負け、って感じはしなかった(ひいき目もあるかもしれないが、ぼくは僅差で内山が勝ったと思った)。
 いっぽうででも、一戦めの「トラウマ」が残っていたのか、いつになく慎重をきわめ、ダウン寸前に追いこみながらもけっきょく詰めきれなかった内山があってのこの判定、という感が否めなかったのも事実で。いずれにせよ、モヤモヤが残るよねえ。
 とりあえず、内山選手おつかれさまでした。

 あ、それと、田口もおつかれさまでした。
ASKA ブログに「何かの圧力が…」

 まあ、「圧力」うんぬんに関しては、はっきり言って興味がないんだけれども……

 それより。警察の不手際だとか、警察への不信だとか、お茶で陽性? だとか、「大きな賭け」で「なんちゃってお茶」? だとか、いろいろな立場・視点から俎上に載せられるのはわかるのだが、個人的にいま、もっとも解せないのは、このひと、そもそもじぶんの立場がほんとうにわかってるんだろうか? ってことで。
 まるでじぶんは被害者――あるいは「悲劇の主人公」――だとしか考えてないようで、違和感がアリアリなのだ。(いわずもがな)そもそもこのひと、前科者――それも再犯率の高い――年齢的にみれば、いっそう再犯率が高いといえる――なわけでね。
 
 

 
 ノルウェーのプログレッシヴ・ロック・バンド、ホワイト・ウィローの2011年発表作。
 いまプログレッシヴ・ロック(以下、プログレ)と書いたけれども、この種のカテゴライズは、じっさいには往々にしてさまざまなタイプのサウンド傾向を包摂しているものだから、紹介できているようで、そのじつ、なにも紹介できていないともいえる。
 だからもうすこし詳しく説明すると――それはゴシックであり、サイケデリックでもあり、さらにはシンフォニックでもある、なんとも複雑なプログレ・サウンド。基本的にはメロトロンやフルートを多用したレトロなプログレ展開なのだが、凛然とした北欧の風土を連想させる蕭条たる静的パートと、まるでそれを払拭せんばかりにとつじょとして爆発するへヴィ・シンフォニックな動的パートの、あざやかなコントラストが織りこまれているのが特徴的といえるだろう。それに加え、霖雨の空に打ちひしがれるかのように暗然とした歌唱や、ひるがえって、碧瑠璃の天を礼賛するかのようにちからづよく、そしてかつ麗しい歌唱を使いわける女性ヴォーカル。とにかく複雑なのだが、じつにすばらしい内容である。
 とても奥が深いアルバムなので、長く聴けそうだ。

穂積、世界王者のまま引退!「これ以上戦う理由見つからない」

 これ以上戦う理由見つかりませんでしたか。
 たしかに、「ドネア最強幻想」があきらかになった(ドネアの力量に関しては、おしなべて全盛期といわれているころから、ぼくは懐疑的だったのだけど)いまとなっては、長谷川としては、このまま引退するのが、いちばん良いかたちなんだと考えます。
 なにより、フェザー級転向後は、被弾が多くなり、さらにいえばケガも多くなり、老婆心ながらほんとうにかれの引退後の人生のことを懸念していたので。
 17年間、ほんとうにおつかれさまでした。
 ……え? 「引退かぶり」のひとのほう? 個人的には、あんまり興味ないです。すみません。
 もう、師走。
 ……「女道楽」にふけっていたら、いつのまにかという感(爆)。
 来年こそは、平常運転を心がけたいですね。
 なんどおなじことを(ry
木星の衛星「エウロパ」に液体の水? NASAが“驚くべき発見”発表へ

 もともとエウロパには、海と生命が存在する可能性が指摘されてたけど、これはやっぱ気になるなあ。
 記事にあるように、木星の潮汐力によって生じる摩擦熱が、天体内部の活動(=生命活動)には不可欠だが、さらに付け加えていえば、「酸化還元反応」も看過できない要素である。簡単にいえば、これは生命活動に必要な酸素を生みだす化学反応で、たとえば地球ではこの重大な役目を、植物や菌類の光合成が担っている。
 しかし、木星の衛星は太陽からほど遠いうえに、その表面が分厚い氷で覆われているため、酸素分子や二酸化炭素などの酸化剤の素となる光合成は不可能。
 
 じゃあ、木星の衛星のばあい、どのようにして酸化剤が生じるのだろう?
 かつて、NASAの宇宙飛行士のケヴィン・ハンドが述べていたことだが、イオンなどの荷電粒子が、絶えず衛生表面に降りそそぎ、衝突する――木星の衛星の軌道は、木星の磁気圏内にある――ことで、酸化剤がつくられるのだそうだ。そしてこれら酸化剤が、地下に存在する(と考えられている)海に到達しているとすれば、生命がいる可能性がおおいに高くなる――という理屈である。
 
 ついでに言えば、探査機ガリレオが送ってきたエウロパの表面の画像に、塩の跡が確認されたというニュースも以前、観たことがあるのだが……
 ああとにもかくにも、発表の内容が気になるなあ。
turning point
 
 元アイソトープ、元ギルガメッシュのメンバーらで結成された英国のバンド、ターニング・ポイントのファースト・アルバム(1977年)。
 いわゆるカンタベリー・ロックの系譜に属する(知るひとぞ知る)バンドということで聴いてみた。
 が、アイソトープやギルガメッシュなどよりは、ジャズ/フュージョン色が強めであるとともに、メロディアスな傾向が強く、とても聴きやすい印象を受けた。そうした曲傾向といい、さらにいえば女性スキャットの存在といい、ぼくははじめ、これをざっと聴いて、チック・コリアのリターン・トゥ・フォーエヴァー(以下RTF)のファースト・アルバムを連想した。
 ところが、このバンドのリズム・アンサンブルをじっくり聴きこんでいるうちに、ソフトでポップなRTFのファーストよりかは、比較的硬質でとんがっていて、その意味ではフュージョンというよりも、むしろジャズ・ロックがその根幹をなしているということに気づかされる。そのあたりの微妙なバランスというか適度な温度感が、たいへん心地よい。これは当たりである。

 
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