本書『新参者』(〇九年)は、刑事・加賀恭一郎を主人公にすえたシリーズ八作めにして待望の最新作である。体裁は、いわゆる連作短編集であり、収録されている各短篇(九作品)は、初出時に、二〇〇四年八月号から二〇〇九年七月号までの長期にわたって「小説現代」誌にて不定期で掲載されたものである。
内容はというと、「新参者」というタイトルが示すとおり、活動拠点を練馬署から日本橋署に移した着任したての加賀が、いまもなお江戸の風情を残す古き良き“人情の町”小伝馬町という、彼にとっては未知の土地で発生した殺人事件に対し、F・W・クロフツ作品や鮎川哲也作品の鬼貫警部シリーズさながら、いわば足を使って地道に捜査を続けていくことで真相に迫っていくという、リアリズムというか社会派の色彩を重視した推理小説である。
日本橋小伝馬町の一角に建つマンションで、三井峯子という四十代女性の絞殺死体が発見された。被害者は交友関係が広くなく、ふだんつきあいのあった親しい人間はごくごく限られていた。また、被害者は温厚な人となりで知られており、被害者を知る周囲の人間の誰もが、彼女が人から恨みを買うことはありえないと断言する。だが、現場の状況は、強盗や強姦を目的とした犯行でないことを示していた。
いったい彼女の身になにが起きたのか? 加賀は、真相を究明するべく、まずは昔ながらの小物問屋が軒を並べる下町で聞きこみを開始する――。
本書でまず目を引くのは、加賀が個々の短篇で、基本的には事件の本筋と直接関係のないエピソードに首を突っこんでいる点だ。それどころか、個々の短篇は、事件の本筋とは直接関係のないエピソードでほぼ成り立っているとさえ言えるのである。それぞれの短篇で、事件の被害者である三井峯子のほかにクローズアップされる下町の人物が定められており、間接的に本筋と絡ませながら、その人物をとりまく職場事情や家庭事情にまつわる日常に埋没していたささやかな謎――いわば人情という謎を、加賀は積極的に解き明かしていき、それぞれに秘められた人情のドラマとそのなかに生きる人々の造形を鮮明に浮かび上がらせてみせるのだ。
とはいえもちろん、連作という趣向を生かした全体のくふうが凝らされているのも見逃せない。一見それ自体が別種の推理小説あるいはドラマとして成立している短篇を追うごとに、じつは、それまでの短篇にさりげなく潜まされていた本筋の事件にかかわってくる伏線が巧みに、かつ、なしくずしに回収されていく。それに従って、物語がはじまる時点ですでにもの言わぬむくろと化している三井峯子の造形が、あたかも死という現実に逆行するかのように、じわりじわりと生気をおびて浮上してくるのだ。さらに最終章まで進めば、三井峯子の造形が本来の鮮明さを取り戻したのと同時に、おのずから犯人と犯行動機まで浮かび上がってくるさまを読者は見ることになるだろう。
ところで、ふつう連作短篇集の趣向といえば、個々の短篇のクオリティを大切にしながら、それぞれの短篇に張りめぐらされていた伏線が最後の章に至ることではじめて回収されていき、それがそのまま意外な真相を浮かび上がらせるという、どんでん返しを重視したパターンが常道だろう。だが本書は、そうした常道とは一線を画している。まず、本書ではそもそも意外な真相というのがそれほど重視されていない。むしろ加賀よりも先に犯人や犯行動機を言い当てることもさほど難しくはないだろう。これはおそらく、作者が何よりも三井峯子をはじめとした小伝馬町に生きる人々の秘められた“情”を描くということを命題にしているからだろう。
それから、個々の短篇どうしの結びつきがゆるいようでいてむしろ堅固である。それぞれが独自の人情のドラマに耽溺しているようなのに、偶然や誤解といった、そのなかに生きる人々の理解が及ぶよしもない不可知の領域で、この物語は微妙ながら密接に絡み合って一本の因果律を形成している。あたかも、作者が本書におけるドラマのつながりを、いみじくもドミノ倒しにたとえたように。あるいは、小伝馬町という下町に軒を連ねる、昔ながらの商工店のありさまのように。下町の商工店が軒を連ねているのは、その町に住む人々にとってはあまりにも当然の事象であるから、平素その密接なつながりを意識することはない。ところが、この町の新参者である加賀が、いざそれぞれののれんをくぐり、一見変化のない店内の光景にじっと目を凝らしてみると、じつは日常ならざる人情のドラマがそれぞれで展開されていたことに気づく。そして、そのそれぞれのドラマが、意外にも三井峯子というキーワードを拠点に、ちょうど軒を並べるかのように接近して建っていたことに気づく。――本書は、そんなたぐいの驚きを包みこんだ推理小説なのである。