小説部門が、

『虚構推理 鋼人七瀬』 城平 京 (講談社)
『開かせていただき光栄です』 皆川博子 (早川書房)

 で、評論・研究部門が、

『探偵小説と叙述トリック』 笠井 潔 (東京創元社)

 とのこと。
 みなさん、おめでとうございます。

 小説部門は、二作同時受賞かー。獲得票数でも、この二作が突出していたようで。個人的にイチオシしていた『虚構推理 鋼人七瀬』が選ばれたのが、まずはうれしいかぎり。
『開かせていただき光栄です』は、購入ずみながら、まだ読めておらず。近いうちに読んで感想アップできたらいいな。……いやそれよりも先に、半年ほども前に読了した『キングを探せ』と『メルカトルかく語りき』それぞれの感想をそろそろ書いておかないと、いざ書くというときに細部にわたって記憶を掘り下げていくのがけっこう面倒になるぞ。
Turn Back the ClockTurn Back the Clock
(2008/04/02)
Johnny Hates Jazz

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 イギリスのポップバンド、ジョニー・ヘイツ・ジャズのファースト・アルバム(1988年)を聴く。
 このアルバムでブレイクするも、メンバーの脱退や怪我など、トラブルが重なったこともあって商業的成功はこの一作に終わり、結果として一発屋というイメージの強いバンドだが、そのじつ、どうしてなかなか良質なポップを聴かせる実力派だ。全編、いわゆるニュー・ウェイヴの流れを汲んだ80年代シンセ・ポップで、バラードも含め、ベタといえばベタなアレンジながら、クラーク・ダッチェラーの甘美でかつ達者なヴォーカルと、カルヴァン・ヘイズの爽やかなキーボードの絡みが絶品で、都会的に洗練された空間をヴィヴィッドに演出。どれもこれも似たり寄ったりの安易な曲ばかりじゃないか、と貶されがちな「商業音楽」の領域に踏み入ることを巧みに避けつつ、ツボを押さえたメロディとアレンジの上手さをこれでもかと披露。「Shattered Dreams」や「I Don't Want to Be a Hero」などの大ヒットしたシングルはもちろんのこと、そのほかにもこれといってハズレの曲はなく、商業音楽の良質な部分のみをさらりと提供してくれていて、とても気に入っている。
 セールス的には失敗に終わったセカンド・アルバム(1991年)を機に解散した彼らも、近年になって再結成、しかもニューアルバムを作成中とのこと(ウィキペディアによれば、だが)。正直、オリジナル・メンバーのカルヴァン・ヘイズがいない(2010年に脱退)のがちと不安だが、クラーク・ダッチェラーの才能に期待したい。


  
嫉妬事件 (文春文庫)嫉妬事件 (文春文庫)
(2011/11/10)
乾 くるみ

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 本書『嫉妬事件』(二〇一一年)は、タロットをモチーフとした「天童太郎」シリーズ五作めである。三百枚級の、枚数多めの中篇ないしは少なめの長篇とも言うべき表題作(初出は、オール讀物増刊「オールスイリ」(文藝春秋)の二〇一〇年十一月刊)に加え、ボーナストラックとして、書き下ろしの犯人当て短篇「三つの質疑」が収録されている。
 同シリーズの前作『セカンド・ラブ』(二〇一〇年)が、ベストセラー『イニシエーション・ラブ』(二〇〇四年)を連想させるビターな恋愛サスペンス色が濃厚な変則型のミステリであったのに対し、本書は、アントニイ・バークリーの名作『毒入りチョコレート事件』(一九二九年)を彷彿とさせる多重推理の趣向を凝らしたまぎれもない本格推理である。ただ、本書で扱われる謎は、『毒入りチョコレート事件』とはまたちがった意味で、非常にタチが悪い。毒入りチョコのように、正確な意味で人を殺めるモノではないのだが、それが「あるはずのない」ところにあったり、あるいは「あってもおかしくはない」ところでも、他人「の」であれば、ある意味目にするだけで精神的に殺められてしまう人は少なくないだろう。
 単刀直入に言おう。そのモノとは、ウンコ、である(もしお食事中のかたがいたら、尾籠な話をして、ごめんなさい。またお食事中でなくとも、ぼくがなまじ、お食事中のかたへの配慮を表明したせいで、いやおうなく「ウンコ」と「お食事中」というワードを頭の中で組み合わせてしまったかたがいたら、ごめんなさい。おっと、これこそ余計だったかも……)。そう、正真正銘の。
 ウンコ事件といえば、本格ミステリ読者のなかには竹本健治の怪作『ウロボロスの基礎論』(一九九五年)を思い浮かべるひとも少なくないだろう。実際『ウロボロスの〜』では、綾辻行人や法月綸太郎などを輩出したことで有名な「京大ミステリ研究会」で事実発生した(らしい)と言い伝えられている「未解決のウンコ事件」について言及されている箇所があるのだ。本書『嫉妬事件』の解説で、同じく京大ミステリ研出身の我孫子武丸も触れているように、おそらく乾は『ウロボロスの〜』を読み、それで作家的好奇心と創造性を喚起されたことで、独自のウンコ事件の顛末を編み出してやろうと思い至ったのではないか。
 なお、実際にあった事件をモデルにした推理小説には、作家・若竹七海の体験談を元にしたアンソロジー『競作五十円玉二十枚の謎』や、都筑道夫の『退職刑事1』に収録されている「ジャケット背広スーツ」など先例が存在する。ついでに言えば折原一の「〜者」シリーズの作品にもいくつか存在するが、そのなかにあっても、ウンコの「ありえない」出現をめぐり、事件関係者たち(容疑者たち)が一様に真剣な顔を崩さずに、最後の最後まで延々と理詰めの推理を展開するという筋立ての本書は、ぶっちぎりで異彩を放っている。

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天井裏の散歩者 幸福荘殺人日記(1) (講談社文庫)天井裏の散歩者 幸福荘殺人日記(1) (講談社文庫)
(2011/06/15)
折原 一

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 本格推理小説の大家・小宮山大蔵に憧憬をいだいて、彼が住む二階建ての共同住宅「幸福荘」につどう推理作家の卵である男たち。ぶじ部屋を借り、そして、真摯に作家修行に打ち込む――はずが、あろうことか、202号室の住人である美貌の人気少女小説家・南野はるかをめぐり、天井裏を行き来しながら、スケベな欲望のおもむくがままに奸計の応酬を繰り広げる始末。密室殺人が発生するなど、騒動はしだいにエスカレートしていき、謎の焦点はやがて、一連の騒動の顛末が集約された「幸福荘殺人日記」という文書そのものへと収斂する。幸福荘で起きた一連の騒動は、はたしてどこまでが事実に即し、どこからがフィクションなのか?
 折原節全開の、叙述トリックの集大成的な連作短篇形式の作品である。少女小説家の色気に当てられた、しょうもない男どもの異常心理を発端に、「幸福荘殺人日記」という文書の争奪戦や、他の住人に対する「のぞき」が展開されるあたりは、たとえば折原の代表作である〈倒錯〉シリーズにも相通ずる要素と言えなくもないが、それらに加えて、共同住宅という舞台と、「天井裏」という小道具を縦横に駆使した、パロディに満ちあふれた仕掛けが多彩に施されているところが本書の特徴である。なお、天井裏という小道具や、『天井裏の散歩者』というタイトルからもわかるように、本書はもちろん、江戸川乱歩の短篇集『屋根裏の散歩者』の表題作のパロディでもある。
 没個性的で、読み手の先入観によって複数の意味に解釈できてしまう文書と、舞台が同じ規格の部屋が並んだ共同住宅――ひいては天井裏――だからこそ成立する、いわゆる「ウサギ小屋」的着想を取り入れた密室トリックのパロディの組み合わせが、なんとも皮肉で滑稽な結末を導き出す「不完全な密室」を嚆矢として繰り広げられる、怪しげな男どもに対する、ヒロイン・はるかの知略をめぐらした勧善懲悪劇。「不完全な密室」以降の六篇でも、やはり「文書」と「天井裏」のふたつの要素を基調アイデアとしたうえで、マンネリの罠に陥らないよう、プラスアルファの(パロディとしての)仕掛けや着想をそれぞれで用意し、驚き――もしくは笑い――にヴァリエーションが加味されており、最後の最後まで読者に予断を許さない構成となっている。とりわけ「函の神様」からの展開はツイストが効いており、出色である。それまでの流れで、くだんの勧善懲悪劇が上手くいきすぎていることから眉唾物と感じていた注意深い読者も、「幸福荘殺人日記」という文書そのものに仕掛けられた、あるとてつもないないたくらみが「函の神様」の最後で明らかにされたときは、うまい! と膝を打った読者も多いはず。――だが、そこで終わらないのが、本書のそれこそ一筋縄ではいかないところである。「函の神様」で明かされた意外な結末から、なおも事態はひっくり返され、いよいよもって虚実の区別がつかなくなり、目眩を覚えているうちに、こんどこそ驚愕のカタストロフィを迎える。
 終始「作中作」を執拗に織りこんだ入れ子構造の複雑なプロットは、ミステリのパロディ、出版業界の楽屋ネタ(カリカチュアライズされてはいるが)、アナグラムといった遊び心で横溢したさまざまな趣向を交えながら、篇を重ねるにつれて、まるで回文のように伝播しては虚構と事実の往還を繰り返す変則的な連作短篇形式を手玉にとり、笑いと嗤いが並列したようなシュールな意外性に着地することに成功している。
   
 
 ルポライター・葉山虹子からの携帯電話によるSOSで、実業家の阿久津又造一家が住まう「黄色館」に呼び出された、密室マニアの迷警部・黒星光。「黄色」い部屋の密室状況下で犯人に襲われていると聞き、勇んで館に乗り込んだものの、みごと当てが外れたうえに、館内のドアを破壊した罰として、黒星は「秘宝館」のガードをするハメに。秘宝館とは、好色漢の館主・又造が所有する、古今東西の性にまつわる玩具、拷問具などがずらりと陳列されたいかがわしい建物のことで、おりしも、そこに展示されている純金製の「黄金仮面」が、犯罪集団・爆盗団の標的になっているというのだ。
 やむをえず独り寂しく警備にあたっていた黒星だったが、その苦労もむなしく、隙を突かれたあげく黄金仮面は盗まれてしまった! ――いっぽう母屋の黄色館では、それと前後して第一の殺人が発生。又造が、女秘書の部屋に夜這いに訪れ、ことに及んでいた最中に、何者かに襲われ撲殺されたのだ。女秘書の悲鳴を聞き現場に駆けつけた黒星を含む一同は、愕然とする。現場は、小さな虫さえ入りこむ余地のない正真正銘の密室で、中にはベッドの上の又造の変わり果てた姿と、その死体の下で気を失っている女秘書がいるだけで、犯人もいなければ凶器も見当たらなかったのである。
 さらに、それに輪をかけて奇妙なのが、その女秘書の体験談。盗まれたはずの黄金仮面を被った何者かが叫び声を上げながら空を飛んでいたのを、彼女と殺される直前の又造が窓の外から目撃していたというのだ。そしてその言を裏づけるかのように、その隣室にいた虹子までもが、叫び声を上げながら空を飛ぶ黄金仮面を同時刻に目撃したと主張。
 怪事は、波状攻撃のごとくなおも一同に襲いかかる。翌日、前夜に空を飛んでいた(?)という黄金仮面を被った何者かが黄色館のホールに出没し、一同とドタバタを繰り広げ、やがて第二の密室殺人が。被害者はダイイング・メッセージを残しており、容疑は意外な人物に降りかかった……
 本書(一九九八年 光文社文庫)は、パロディ本格を前面に押し出した黒星光警部シリーズ五作め(シリーズ長篇としては四作め)。開巻劈頭から黒星の相棒・虹子に襲いかかる(?)、ガストン・ルルーの名作『黄色い部屋の謎』(一九〇七年)を彷彿とさせる密室の謎をはじめとして、空飛ぶ黄金仮面、館を駆けまわる黄金仮面、二つの密室、意外なダイイング・メッセージ、よみがえる死者等々、これでもかとばかりに怪奇とドタバタを盛り込んだプロットは、ディクスン・カー(カーター・ディクスン)の『一角獣殺人事件』(一九三五年)や『連続殺人事件』(一九四一年)あたりを連想させる過剰っぷりである。ただ、折原の場合は、大道具から小道具にいたるまで下ネタをふんだんに振りかけた筋立てにしているものだから、いっそうタチが悪いとも言える。
 ひとことで言えばバカミスの系譜に属する作品なのだが、とはいえ、悪ふざけに淫しているばかりではない。カーのある短篇などに見いだせる古典的トリックの基調アイデアを、いわば下ネタで包み込むことにより、それこそ前例のない(そのはず)、完全に折原オリジナルのトリックに昇華してみせた第一の密室や、G・K・チェスタートンのある短篇に見いだせる古典的トリックの原型を、折原が最も得意とする叙述トリックにアレンジするなど、本書は古典ミステリ作家のパロディであると同時に、じつは本歌取りとしても充分機能しているのだ。
 ついでに言えば、ダイイング・メッセージを組み合わせた第二の密室も、密室トリックの原型こそいくつかの古典ミステリに前例が見られるありふれたものだが、ダイイング・メッセージの意外な処理が隠し味となって、よくも悪くもバカミスに徹したこのシリーズならではの独特の味わいが醸し出されている。そのオチをご愛嬌と受けとるか、はたまた幻滅と受けとるかは読者しだいだろうが、いずれにせよ、このシリーズのお約束である、黒星の、現実と虚構を混同した探偵小説に対する一種のメタ発言が、内実、そのような趣向をある意味引き立てる“香辛料”としても作用しているのは見逃せないところだろう。
 21日におこなわれたWBC世界スーパーバンダム級王座決定戦で、アブネル・マレス(メキシコ)がエリック・モレル(プエルトリコ)を3-0の判定で下して新王者に。また同会場でおこなわれたWBA世界バンダム級タイトルマッチでは、同級スーパー王者アンセルモ・モレノ(パナマ)が、同級7位のデヴィッド・デ・ラ・モラ(メキシコ)に9回TKO勝利。
 新王者のマレス選手は、華やかさには欠けるものの、パワーと手数を前面に押し出した積極的なボクシング・スタイルが見ものではあったが、とはいえ、この階級でやっていけるのかどうかは、まだ未知数なところがある。彼にせよ相手のモレル選手にせよ、バンダム級上がりであり、実際、前日の計量結果(122ポンドリミットで、マレス選手は119.5ポンド、モレル選手は120ポンド)からもわかるとおり、両者ともスーパーバンダム級の身体ができていたとは言いがたかったので。それに、この階級の王者勢――WBAレギュラー王者ギジェルモ・リゴンドー(キューバ)、WBC名誉王者西岡利晃、WBOレギュラー王者ノニト・ドネア(フィリピン)――のことを思うと、どうしても見劣りする感が。
 いっぽうモレノvsデ・ラ・モラは、昨年の8月に、WBA同級レギュラー王者の亀田興毅選手にあと一歩及ばず惜敗したデ・ラ・モラ選手を、技巧派モレノが終始高度なテクニックで翻弄。二度のダウンを奪いながら、“ゴースト”の異名が示すように「打たせずに打つ」をほぼ完璧に体現してみせたモレノ選手の磐石の巧さと強さが際立っていた一方的な内容だった。その超絶技巧に毒気を抜かれたせいか、デ・ラ・モラ選手が戦意喪失ともとれる“走り”を見せる場面もけっこう目立っていた(あるいは単にボディーが効いていて、少しでも回復するよう時間稼ぎをしていただけかもしれないが)。
 間接的な形ではあるが、デ・ラ・モラというモノサシによって、「スーパー」と「レギュラー」という肩書きの相違はあるにせよ、共にWBA同級王者に居座るモレノ選手と亀田選手との実力差まで類推できてしまったところは、皮肉と言うべきか。

 
海のある奈良に死す (双葉文庫)海のある奈良に死す (双葉文庫)
(2000/05)
有栖川 有栖

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 半年がかりで書きあげた新作長篇『セイレーンの沈黙』の見本をこの目で確かめるべく、神田神保町にある「珀友社」を訪れた推理作家の有栖川有栖は、そこではからずも、同業者の赤星楽と出会う。
 ひさしぶりの再会で雑談にひとしきり花咲かせたのち、話題は有栖川の『セイレーンの沈黙』に移る。しかして、その題名に含まれる「セイレーン」(=人魚)という用語に、赤星はかんばしくない反応を見せる。彼いわく、自分がこれから書こうとしている新作長篇『人魚の牙』でもセイレーンが絡んでくるのだという。つまり、有栖川の新作長篇とネタがかぶっていることを赤星は危惧したわけだが、その懸念が杞憂に終わるや否や「行ってくる。『海のある奈良』へ」という謎のことばを残し、具体的な行き先も新作の構想も明かさないまま、彼はその新作の取材旅行へ颯爽と出かけていった……
 ――そして、翌日、福井県の古都・小浜で赤星の変死体が発見された。彼の突然の死に釈然としないものを感じていた有栖川は、他殺の線が強まったことを受け、犯罪学者の友人・火村英生とともに捜査を開始。ふたりは、まず赤星の死体が発見された小浜に向かう。小浜には、人魚の肉を食べて八百歳まで生きたという八百比丘尼(やおびくに)の伝説があることからも、赤星が向かった取材先としては妥当に思われた――がしかし、その先で思いもよらない紆余曲折がふたりを待っていたのだった。
 おなじみアリスと火村のコンビが、大阪にとどまることなく、福井や東京などを忙しく股にかける動的な本書(再読)の筋立ては、一見すると有栖川作品らしからぬ、さながら流行りの旅情ミステリのような趣きである。だが、猜疑心に囚われたミステリ読者であるわれわれ(?)は、当然、それをそのまま鵜呑みにするわけにはいかない。複数の意味で〈地図〉をキーワードにした、『人魚の牙』という珍奇な題名(人魚に……牙?)と「海のある奈良」の場所をめぐる謎解きは、推し進めれば推し進めるほど、解きほぐされるどころか、混迷の一途をたどるばかりだ。そうこうするうちに、第二の殺人が発生し、毒殺事件という謎が新たに追加される。突如として、なぜ長きにわたって飾られていた(毒入りだった)ウイスキーの栓は抜かれたのか?
 赤星殺しの犯人解明のいとぐちともなる第二の殺人の(ネタバレにつき、反転)サブリミナル効果(ここまで)を利用したトリックは、それ自体は創意に富んだ魅力的な趣向なのだが、いかんせん「トリックのためのトリック」の域を出ておらず、筋立て全体のなかで、そのからくり仕掛けの部分だけあとになって継ぎ足したかのように、不自然に浮き出てしまっている感がある。手間暇がかかるうえに、確実とは言いがたいそんな方法でなくとも、ほかにもっと楽で効果的な手口を犯人は案出できたのではないか? という疑念の余地が残るのである。
 そのいっぽうで、一読しただけでは見過ごしてしまいそうなやりとりから伏線を回収し、二つの矛盾点を炙り出す犯人特定の切れ味鋭いロジックはそれとして評価されるべきポイントである。さらに、本書で何より特筆に値するところは、じつはフーダニットが解明されたその先――大団円――にある。作者の赤星が鬼籍にいったことで、結局は明かされることのないまま儚く散ってしまったはずの『人魚の牙』のミステリの概略が、奇しくも、本書の開巻早々から、現実のアリスと火村をいわば“代行”の探偵役として取り込みながら、一種のメタフィクショナルな絵筆をもって生々しく描き出されていたことが、その大団円に至ることであきらかとなるのだ。深みがあるミスディレクションの霧で覆われた、虚実皮膜を地で行くそのようなプロットが、眩暈を誘うような余韻をもたらしてくれる摩訶不思議な作品なのである。
翼のある依頼人翼のある依頼人
(2011/07/20)
柄刀 一

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 シャーロック・ホームズのオマージュ趣向に加え、ディクスン・カーや島田荘司のお株を奪った「奇想+不可能犯罪」の連鎖が強烈なインパクトを残す長篇ミステリ『マスグレイヴ館の島』(二〇〇〇年)につづく〈慶子さんとお仲間探偵団〉シリーズ、ひさびさの二作めとなる中短篇集である。『マスグレイヴ館〜』と同じく、コナン・ドイルのホームズ作品ゆかりの楽屋落ちネタを装飾に、同時にまた、アガサ・クリスティの〈ミス・マープル〉シリーズを代表例とするコージー・ミステリないしはティータイム・ミステリを筋立てのいしずえとする一方で、各作品で扱われる事件の骨格は、まぎれもなく柄刀ブランドの刻印が押された、換言すれば尋常一様ではいかないトリック解明の謎に力点が置かれた硬質な本格ミステリのそれである。
 多少なりとも異なる部分を見いだすとすれば、『マスグレイヴ館〜』が島にある館と岬という非日常的な舞台で発生する連続怪死事件がコージーないしはティータイムらしからぬ重厚感を漂わせていたのに対し、本書に収録された作品は、国籍も世代もバラバラながら、概してシャーロッキアン――シャーロック・ホームズという名探偵とその物語の熱狂的なファンをさす総称――というささやかな、だが唯一無二と言える共通項で固く結ばれた〈眠り姫〉慶子さんとその仲間たちのほのぼのとした日常的光景の移ろいに密着した正統派コージーないしはティータイムの香りを、馥郁(ふくいく)と、そしてかつ濃厚に漂わせている点だろう。つまり俯瞰して言うならば、従来の謎解きに対する硬質な柄刀らしさと、らしからぬ緩やかで柔和な物語的な要素とがじつに釣り合いよくまとめられた中短篇集なのだ。
 
 もっとも、繰り返すようだが、事件の骨格はいずれの作品も一筋縄ではいかないトリックとロジックが織りなす「ド本格」と言っていい。収録作品は四つあり、そのうち、密室テーマの捻りの利いた利用法――プロットはシンプルながら、密室テーマを主軸に、フーダニットとハウダニットの解明が不可分に結びついた巧緻な手筋が光る構成――が冴えわたっている「女性恐怖症になった男」と「黄色い夢の部屋」。それから、迷子(迷鳥――マヨイドリ――?)の白インコ「ピヨちゃん」の豊富な声真似を手がかりに、ピヨちゃんの飼い主の居場所と陰惨な動物毒殺トリックをなしくずしに解き明かす表題作の短篇三作もすぐれた作品だが、出色はなんといっても、収録作品ちゅう唯一の中篇にして書下ろしの、あるいは不可能犯罪の重厚性という意味でも上記の三篇とはやや毛色の異なる「見えない射手の、立つところ」である。銃の製造、修理、改造、メンテナンス等を生業とするガンハウスの館の、不気味な西洋甲冑が飾られた一室で、衆人環視の中、突如銃殺事件が発生した。撃たれたのは二発の銃弾で、そのうちの一発が男に当たり、そのまま絶命。すべては一瞬の出来事だった。慶子さんをはじめ数人が弾を発射する瞬間の凶器を目撃していた。ところが、その凶器を手にした犯人は――いなかった! 拳銃が、それ自体が、まるで意志を持つがごとく空中に浮かんでいて、操る者はいないのに、被害者目がけて発砲されたのだ……
 
 からくり自体は、一般論で言えば、この種のミステリのご多分に漏れることなくどうしても無理が付きまとう。いやむしろ、ナンセンスそのものだろう。だが作者は、フィクションという領域を融通無碍(むげ)に、そして縦横無尽に泳ぎまわるすべに、ことさら長けている。作者も、そのことに絶大な自信を持っているとみえる。ガンスミスの館という特殊な舞台とそれに由来する小道具、また逆に(ネタバレにつき反転)低周波音(ここまで)トリックという風変わりな隠し球に加えて、そうした環境・背景によって鬱積されたいびつな人々の心模様を緻密に組み合わせて、「こういうシチュエーションなのであれば、例外中の例外として、ありうる」という、それこそ奇蹟そのものといっても過言ではない現象を、綱渡り的ながらしかし合理的に編み出すことに、作者は成功しているのである。まさに神が、下界の者を驚嘆させるべく、ほんの気まぐれから演出してみせたかのような奇蹟。逆説めいた、合理的な非合理のコンポジション。ありえないことなのに、答はでもそれでしかないという、フィクションという底知れぬ大海原を専門領域とする本格ミステリ作家としての柔軟さと誠実さを併せ持った、たしかな説得力。
 文字どおり、不可能としか思えないイリュージョンが、溢れんばかりの叡智を総動員・収斂させて可能となる神がかり的な瞬間――それこそ不可能犯罪物のミステリ最大の読みどころであり、またこの中篇の醍醐味とも言えるだろう。傑作中の傑作である。

 ところで、ぼくはさきほど「本書は正統派コージーないしはティータイムの良い香りを前面に押し出している」といったようなことを書いたが、より正確を期するのであれば、例外もあって、口に含んでみると――つまりは、謎を解いてみると――存外ビターな味わいが広がるといったことも、じつは少なくない。だがそれでいて、苦味が尾を引くといったことがほとんど感じられないのは、唯一無二の名探偵ではなく、その唯一無二の名探偵が登場する物語をあるいは批評しあるいは賛美する側である均等的もしくは相対的なシャーロッキアンで総じて構成された麗子さん(およびその家族)とその仲間たち――ときとして憎まれ口をたたいたり侃々諤々と意見をぶつけ合いながらも、それぞれを思いやり尊重しあうことだけは絶対に忘れない、ほんとうの意味で気心の知れた仲間たち――の国籍や世代を超えた、いかなる困難にも屈しない結束力や、ホームズをこよなく愛する作者の溢れんばかりの懸想がゆえに、ややもすればほろりとこぼれ落ちるひとしずくのユーモアが、仲間たちで協力しあって謎を解くという形式や大団円のはしばしに、前向きで優しいメッセージを伴って現れているからこそだろう。ラストに収録された「黄色い夢の部屋」にて複数の意味で意外な展開を見せ、また、ある一面では解明されない謎を残したまま幕を閉じることになるこのシリーズの行くすえもまた気になること請けあいの作品である。

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