Author:Kaoru(sophism spewage)

Hobby:読書(主にミステリ小説、精神分析学等思想書の類)、音楽鑑賞、思索、抑圧。
Admonition:「“神はひとりであって、そのほかに神はない”」(エラリイ・クイーン『九尾の猫』(ハヤカワ文庫)より)
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日本語の慣用句や言葉の使いかたの誤用
2008.07.27 Sun 12:49
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「日本語の慣用句や言葉の使いかたについて、文化庁が世論調査した結果、70%以上の人が「 檄 ( げき ) を飛ばす」や「 憮然 ( ぶぜん ) 」の本来の意味を取り違えていたことがわかった。」とのこと。
まあ、誤解しやすい側面があるのはよくわかりますけどね。何しろ和語だとか漢語そのものに多種多様な意味や解釈ができるものは無数に存在し、さらにまた、それらを使った慣用句にしてもいわんやをや。 たとえば、「ぞっとしない」という慣用句があります。これは本来の意味は「感心しない」または「うれしくない」ですが、しかるに、以前ニュースで報道されていたのですが、それを「恐くない」「寒くない」と解釈していた人もすくなくなかったそうです。これはおそらく、「ぞっと」という副詞が「寒さや恐ろしさのために、全身の毛が逆立つように感じるさま」(三省堂「大辞林 第二版」より)という意味をもつ事実からくる発想でしょう。実際、寒さや恐ろしさをあらわすための「ぞっとした」という表現は一般に正しく流布していますから、その対句の表現として、寒くない、恐くないという感情をあらわすべく「ぞっとしない」と表現したがる人の気持ちもある種の人情として理解できなくもありません。 とはいえ、「ぞっと」は、上記で述べた意味のほかにも、「強い感動が身体のなかを通り抜けるさまを表す語」(三省堂「大辞林 第二版」より)としても解釈できる副詞。これを看過してしまうから、そのような誤用もまた流布してしまうことになるのでしょう。 ついでに言えば、これまた以前ニュースで知ったことなんですが、「やおら」という、正しくは「ゆっくりと動作をはじめるさま」を意味する副詞を、どうしたわけか「急いで動作をはじめるさま」と間逆に解釈していた人もけっこういたそうです。しかしこれは、上記の「ぞっと」のケースとはちがい、誤解しやすい慣用句に対応する言葉ではないですから、単純に勉強不足というか、同情の余地もないですね。 |
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蚊
2008.07.24 Thu 12:28
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夏といえば、海水浴に、キンキンに冷えたビール、それから花火ッ! ……と言いきることができる人は、思うに幸せ者である証拠でしょう。
さてぼくの場合はというと、「キンキンに冷えたビール」に関しては、なるほどわが意を得たりなんですが、そのほかがマズイ。なにせ夏と聞いてほかに連想することはというと、イニシャルがGの害虫、それから蚊にブト、なんですから。 とりわけ、蚊というヤツにはめちゃくちゃ往生させられているのです。どうもぼくは血を吸われやすい性質らしく、気づいたときにはすでに遅し、ことに腕や足に赤い腫れ痕が散在しているのを頻繁に見かけます。ときには指の関節のあたりだとか、顔の一部分を刺されたりすることもあり、これまた迷惑千万です。とくに後者に関しては言わずもがな、問題はかゆさばかりか、見ばえ的にも大いに問題があり他人に見せられたものじゃありません。 それにしても、なぜぼくはこうも蚊に好まれるのだろうか。一説によると、刺されやすい血液型と、そうでない血液型というのがあるらしく、O型は刺されやすく、A型は刺されにくいという報告があるのだそうです。その点、ぼくはO型。なるほど、だからなのか――と確信しそうになったんですが、さにあらず。 根が疑い深い人間なので、念のためにと蚊にまつわるウィキペディアを調べてみてわかったことなんですが、それによると、血液型によって刺されやすい、刺されにくいを分類するのは、血液型によって人の性格を分類するのと同様、科学的根拠に乏しいのだそうです(詳しくはウィキペディアのほうをご覧ください)。 で、その血液型分類説が事実でない、と仮定したうえでさらに思弁を進めますが――これまたウィキペディアによる情報なんですが、蚊は体温、におい、周囲との二酸化炭素の密度のちがいなどで血を吸う相手を探しているのだそうです。それだけに、体温が高くて、呼吸回数が多い、つまりは新陳代謝の激しい人はとくに刺されやすいのだそうな。だとすれば、う〜ん、ぼくって新陳代謝が激しい性質の人間なのかな? そのほかにもいろいろと書いてありますね――新陳代謝量が増える運動をしたあとは刺されやすくなるだとか――自己分析するかぎり、とりたてて運動しているわけでもないからこれはちがうんじゃないかな?――、黒い服は熱を吸収しやすいから黒い服を着ていると刺されやすくなるだとか――ぼくは、とくに黒の服ばかり好んで着ているわけでもないからこれもちがうかな?――、あと、ビールを飲んだあとは刺されやすくなるだとか――ん?! ビ、ビール…… ええと、実を言えばぼく、タックやボアン先輩に負けず劣らず(このたとえがわからないというかたは、すみませんが無視しちゃってください)大のビール党で、季節問わず、昼夜問わず(さすがに大学院にいるときは飲んでませんが)、毎日ぐびぐびと飲んでいます。それも結構な量を。 蚊に刺されやすいのは……だから、もしかしたらそれが原因なのかもね(^^;)。それが事実だとすると、上記で、夏という季節の利点に挙げていた「キンキンに冷えたビール」というのは、同時にまた、蚊に吸われやすいというマイナス点に拍車をかけるやっかいな要素でもある、と解釈できるわけで。これこそ、ビールは――先哲の言葉を借りて言えば――三界(さんがい)に首枷(くびかせ)というわけでしょうか(?)。 |
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「させていただく」症候群
2008.07.23 Wed 00:10
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よく、ラジオ番組で、リスナーのハガキあるいはメールがミュージック・ナヴィゲーターによって紹介されるコーナー、ありますよね。そのコーナーで、ぼくは、ややもすればある違和感をいだいてしまうのです。というのも、リスナーのハガキあるいはメールの内容の出だし文句、これはだいたい
「こんにちは(あるいは、こんばんは)。いつも楽しく聴いております(あるいは拝聴しております)」 と、こうなるはずじゃないですか。 ところがそれを、こういうふうに書くかたがかなり目立つんです。 「こんにちは(あるいは、こんばんは)。いつも楽しく聴かせていただいております」 ラジオを聴くことは、とりたてて誰かの許可を得る必要はなく、つまりは当人の勝手でしかないことであり、したがって「〜させていただく」必要はありません。それなのに…… おそらくこれは、たとえば自己を主張しすぎると相手に嫌われるのではないか、とか、はっきりモノを言い過ぎると周りの「和」を乱すことになり、もしかしたらみなに嫌われ、ひいてはその集団から排斥されることになりはしないだろうか、などといった理由から、自分の主張のニュアンスを控えめに和らげることで高圧的ととられかねない可能性をあらかじめオミットしておくという意識(というより、これはたいてい無意識レヴェルでの感情の流れ、なんでしょうが)がはたらいたがゆえの、日本人特有とも言うべき対人心理における強迫観念的な病理の一種なんでしょう。 もっとも、書き言葉のレヴェルにおいてはこうやって冷静にふり返ることも比較的容易なこと。しかし話し言葉のレヴェルにおいては――かくいうぼく自身、ふり返ってみると、無意識のうちに「させていただく」症候群の病魔に汚染しているんじゃないかと思われるふしが、たびたびあります。だからこれは自戒の意味もこめて、気をつけるべきことだと考えます。 つづきを読む |
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山本モナ
2008.07.12 Sat 19:35
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モナ自粛歓迎!フジHPに苦情1000件、……だそうで。
べつに、この件に関してはとくに言うことはないんですけど。山本さんにも、それから二岡選手にも、お二方とも泥酔していたらしいとはいえ、同情するつもりは毛頭ありませんし。あたりまえのことながら、泥酔していたからといって、そういった人たちがみな、近くにいい男がいたから、あるいはいい女がいたからといって不倫(あるいはそれに近しい行為)に走るなどということはないですから。やはり当人たちの理性、モラル、危機意識、意志などといった問題でしょう。 ところで、山本さんの事務所の先輩であるお笑い芸人のなべやかんさんが、くだんの問題を受け、「『セックス依存症なんです』って病気のせいにしちゃえば(マスコミが)叩けなくなる」などと激辛アドバイスを提言されたそうで。 芸人ならではの軽妙洒脱な冗談の一種なんでしょうが、もしジョークでなく、ほんとうにそう思っていると仮定したうえでこちらも老婆心ながらアドバイスを提言するとすれば、それはまったくもってナンセンスでしょう。だって、なべさんのようなメディアに影響力がある著名な芸能人のかたがそのようなかたちで公言しちゃうと、その行為自体によって病気のせいにできなくなるでしょう。それならいっそのこと、山本さん当人にのみ、直接そう提言すればいいと思います。ブログという不特定多数のかたがたが閲覧できる影響力の大きい媒体を利用して言うことではない――失礼ながら、そう思います。 ……ああ、でも、その提言はやっぱり冗談なんでしょうね。でも、だとすると――ほんとうに山本さんのことを思うのであれば――それってよく考えてみると不謹慎じゃないかなあ。 |
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お姉系文体(?)
2008.06.29 Sun 20:42
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何となくネッサーフィンをし、いくつかのブログ、なかんずく若い女性が書いているものとおぼしきブログを拝見した際に、やけに気になったことなんですが。
そういったブログの文章の特徴として概して共通するのが、 1、いわゆる絵文字、顔文字を多用する。 2、助詞や接続詞などを通常のひらがなでなく、あえてカタカナで書く(たとえば「私ワ」だとか、「……と思ってたんだケド」といった感じで)。 3、何らかの隠語や造語を多用する。 4、「(笑)」「(爆笑)」「(泣)」などを多用する。 5、語尾に「www」をつけ、自分の愉快な気持ちをめったやたらと相手に伝えたがる。 とまあ、こんな感じでしょうか。もっとも、1、3、4、5に関しては性差は関係ないように思われますけど。 とにかくこれらを総合して、なぜなんだろう……と思考すると、失礼ながら、存外人間心理の興味深い事実が浮き彫りになったりして、けっこうおもしろいです(?)。 つづきを読む |
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人の癖
2008.06.20 Fri 07:04
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昨夜、「ダウンタウンDX」(日本テレビ系列)というバラエティ番組を何とはなしに視聴していて、ふと思ったこと。
その番組のコーナーに、「打ち合わせでこんなの撮れちゃいました」というものがあります。これは、番組のゲストのかたがたが、番組のスタッフとおぼしきかたと打ち合わせをしているとき(たぶん)のVTRで確認された、ゲストたちの自覚していないうちに生じる何らかの癖――口癖であったり、動作であったり、表情であったりと、さまざま――を俎上(そじょう)に載せて笑いを喚起させる、という企画。 それを観、なるほどおもしろいものだなと思いながら、ふと自己をふり返ってみると――そういえば、ぼくにもあるある、そういう癖がと。自己分析するかぎりで言えば、ぼくの場合、話をふられ、何らかの回答を求められたおりに、ともすればいっぽうの手の親指をあごに乗せ、さらに人差し指をちょうど鼻に隣接する部分へともっていく、という癖があります。その状態で思考し、そして何らかの応答をする、というわけですね。 そういった自分の癖に、前々からふとしたおりに気づくわけですが、つまりそういう意味では自分の癖に自覚があるわけですが、でも、その癖が発露する際はまずもって無自覚のうちにやっていると思います。 おもしろいものですね。 |
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UFO襲撃(?)
2008.06.19 Thu 00:57
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「ルーマニアの国防省が、戦闘機がUFO4機から攻撃を受けたことを確認したと発表した。」とのこと。
何にせよ搭乗していたパイロットが無事で何よりですが、それにしても、記事にもあるように、これがほんとうに「宇宙からの使者」の仕業なのだとしたら、非常におもしろい。いや、とどのつまり他人事だからこんなことが言えるわけなんですけど。もし自宅がその標的になっていたのだとしたら……と考えると、当然ながらそんなことは言っていられませんから。 とはいえ……不謹慎であることを承知のうえで言いますが、何だかこういうニュースにはちょっと興奮させられるおのれを自覚します。と同時に、不意に一時期熱心に観ていたクリス・カーター原作の「X-ファイル」が恋しくなるわけです。ああ、モルダー、そしてスカリー。 |
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自己=懐疑
2008.06.11 Wed 03:58
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「群盲象を評す」というたとえがあります。これはとりもなおさず、「凡人には大人物や大事業(など)の一部分しかつかめず、大局からの見かたはできない」というようなことを意味するのですが、残念なことに、このたとえに合致する事象は、ぼくらが住む日常社会のありとあらゆるところにはびこっています。そしてそれが悪い方向にはたらいた場合、さまざまな軋轢(あつれき)が、ときには私的レヴェルにおいてときには公的レヴェルにおいて、程度の差異はあるにせよ生じてしまい、最悪の場合は生命の危機にかかわるレヴェルの問題にさえ発展しかねません。
それら事象の原因は複雑にさまざまあるのでしょうが、しかしそもそもに起因するのは、けだし、各々の時代性に反映された社会や文化が提唱する一定の規範からは逸脱した、ないしは超越せんとする人間一個の基盤たるナルチシズムかと思われます。平たく言うなら、プライド。 もちろんそれじたいは、人間が人間であるがゆえの社会的文化的存在性を公的に示す原動力であり、またそこから派生する衝動や欲望が、人々を一所懸命の努力へと駆り立て、試行錯誤を重ねながらも、その結果として他者に是認されることで生にまつわるさまざまな悦楽を得る。そしてそれらをかてに、それぞれがそれぞれなりに日々を有用に昇華し、消化していく。 しかしながら、そのナルチシズムに由来する欲望や衝動が、社会や文化の提唱する一定の規範から多かれ少なかれ逸脱していることを当人が何らかのかたちにおいて体験した場合、その当人はややもすると挫折しては嘆き、悲しむ。ときとして激昂もする。けれど、ここまでならまだいいのです。もとい、ここまでなら人間ならば誰しもがふつうにたどる内面の過程でしょう。しかし、そこでいったん立ち止まり、冷静になり思考し、そうしてみずからのあるいは他者の過ちや、いたらなさをありのままに受け止め、認めることで、人はさらに努力する。自他含む個人という稚拙さを認めること――。それこそが、人をさらに上位へと成長させる原動力となるはずです。 ところがその挫折が嵩じた場合、当人はこういう閉塞的と言うべき一方的な思考の過程をたどることになりがちです。世の中、まちがっている。自分は他者に、この世界に、不当に扱われている。自分のほんとうの価値をてんでわかっちゃいない。そんなはずがないのにもかかわらず。だからそれをわからせてやる――。そうして目先の快楽に埋没し、さらなる挫折を繰り返す。最悪の場合は、かの秋葉原通り魔事件の容疑者のように、おのずから人生を破滅させてしまう。 これでは話になりません。いわば、自己と他者との境界線をてんで認識していないからです。言い換えれば、評価や印象などといった観念は、人それぞれによって、その視点の置きかたによって捉えかたが大なり小なり異なるものであるというしごく当然な世の摂理を全然理解していないからです。 そんなかれらは、全能たる自己に懐疑をむけるべきです。全能たる自己が内実幻想にすぎないのだということを認識すべきです。 |
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秋葉原通り魔事件について
2008.06.10 Tue 23:35
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ほんとうに痛ましい事件です。犠牲者のかたがたには、心よりお見舞い申しあげます。
ただ、誤解を恐れずに言うならば、この記事における石原慎太郎知事のご指摘は、無責任に聞こえるようだけれど、その実、けっこう的を射ていると思います。人情として納得できるか否かはべつとして。 |
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小中学生のケータイ所持禁止問題
2008.05.21 Wed 12:59
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この記事におおむね同感です。
ただ。「インターネットに危険な一面があるのは事実だが、これは子どもの成長過程のどこかで知っておく必要がある。免疫がないまま大人になるほうが、よほど心配だろう。」というのはなるほどそのとおりだと思いますが、だからといって小学生にまでケータイ所持を許可している現状はいかがなものかと思います(もちろんパソコンに関してもしかり)。その時分から、有害なインターネットサイトを観賞できるような環境が整備されていることは、精神分析学的見かたからすると、当人たちの性格傾向に何らかの倒錯的障害をもたらす可能性が多分に懸念されるため、感心できることではありませんから。今日に至っては業界からの取り組みが決まっているとのことですが、ぼくが申し上げているのはそれ以前の問題です。 |
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竜の顔(?)
2008.05.18 Sun 10:44
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竜神伝説ゆかりの寺本堂床に、くっきり竜の顔が……とのこと。
なるほど、言われてみれば……ですね(笑)。たしかに《ミステリー》なわけだ。おもしろいです。うん。 でも、それを《本格ミステリー》(?)としてみるなら……こんなイジワルな想像をしてみないと。もしそこが〈竜神〉伝説ゆかりの寺本堂でなく、〈犬神〉伝説ゆかりの寺本堂であったのなら、おそらくそのあとに続く文句は「くっきり犬の顔が……」だったんだろうなあと。 |
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「モノマネ」について
2008.05.17 Sat 15:30
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ふと思ったことなんですが。
バラエティでは、芸能人に代表される有名人の顔の表情や声、しぐさ、態度などをカリカチュアライズさせて真似た「モノマネ」というお笑いスタイルが人気を博していますね。実際ぼくも、一視聴者として、けっこう好きで、よく観ております。 それらを見、くすくす笑いながら、けれどそのいっぽう、ときおりふとわれに返って思うことがあります――このモノマネ、さすがにやり過ぎなんじゃないかな。考えてみると、これって本物の人に対してあまりにも失礼なのでは、と(もちろん、本人からの許可を得ているという場合はべつですが)。 いくら表現の自由が人口に膾炙しているとはいえ、そして、いくらカリカチュアライズされているとはいえ、そしてまた、いくらそういうお笑いスタイルが一般に流布され普遍化されているとはいえ――そういった事象を、ひとたび母体である本物の人の立場に立って想像をはたらかせてみると、やっぱり場合によっては、モノマネされることによって大なり小なり迷惑に感じる人、自尊心を踏みにじられ、傷つく人だっていらっしゃるのではないかと思えてくるわけです。 じゃあ、モノマネされる側の人間が、する側の人間に向かって堂々と「迷惑ですからやめてください」だとか、極端な場合、法的に訴え出りゃいい話じゃないか、と思われるかもしれません。なるほどそれはそのとおりだと思います。けれど、場合によっては、ことはそううまいこと運ぶものなのかと疑わしく思うのです。だって、モノマネされる側の人間の立場に立っていま一度想像をはたらかせて考えてみてください。人並みに相手を思いやることのできる一定の良識が当人にあるのであれば、こうした場合、まずはこのように考えるだろうことがけだし想定されます――自分が相手にモノマネをやめさせたことによって、ひょっとしたら相手の社会生活に多かれ少なかれ支障をあたえることになりはしないか、と。たとえばの話、声帯も形態もアントニオ猪木一本に絞って模写し、モノマネし、それで生計を立てている者がいたとします。しかし当の猪木さんにしてみたら「1、2、3、ダーッ!」「何だバカヤロー」などといったぐあいにモノマネされるのがほんとうはとてもイヤで、迷惑であり、苦痛であり、自尊心の傷つきを実感していたとする。したがってやめてもらうよう申し出たい。けれど猪木さん、こうも考える。さりとてそれを実行に移し、そしてやめさせることが現実になったとしたら――じゃあいったいあいつは、どうやって食っていくのだろうかと。とにかく俺のせいで、かえってあいつの人生狂わせることになりはしまいか、と。だから、正直辛いけれど、放任しておくことにしよう――と。 これは極論ではありますが、いずれにせよ、モノマネすることによって心ならずも、モノマネされる側に対して一重あるいは二重に、言い換えれば大なり小なり迷惑をかけてしまうことになりかねない――すくなくともその可能性はじゅうぶん考えられます。 あ、でも――誤解のないように断っておきますが――だからといって、こうしたモノマネそのものを完全否定するつもりは毛頭ありません。何となれば、理性は以下のようなお堅い判断を開陳させるものの、そのいっぽうで、ぼくの主観ないし感情はそういった類のモノマネを楽しんで見ている側面があるのも事実だからです。それにまた、モノマネされることによって、かえって当人に何らかの利益が多かれ少なかれもたらされる事例だってあるのでしょうから。たとえば、美川憲一さんが、コロッケさんにモノマネされたおかげで人気を復活させることができ、それでのちにコロッケさんに謝意を述べたという事例はあまりにも有名です。 だから……このあたりは難しいよなあ。 |
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日常で気になること
2008.05.05 Mon 03:36
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これはかえすがえす気になっていることなんですが。
人は話しているとき、自分が主張している同じ事柄をちがう表現であらわす際に、ややもすると「というか」だとか「っていうか」(=いわゆる若者用語)などといった言葉を利用します。いやもちろん、それはそれでべつに問題はないわけで、こちらとしても一向にかまわないわけなんですが。 ところが、その、「というか」「っていうか」をあからさまに誤用している人たちを見かけることがよくあるんです。それというのも、話題を変えて話しはじめる際に、なぜか「というか」「っていうか」を使う人たちがいるんですね。一例を挙げると、「あの映画おもしろかったよね。っていうか髪切った?」などといったぐあいに。 もちろんその場合は、「ところで」だとか「ときに」だとか「それはそうと」などといった言葉を当てるのが正しいはず。それなのに変だなあ? というわけです。 そうそう。あと、開口一番に話しはじめる際に「というか」「っていうか」を使う人もいたっけ。なぜか。 |
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