本書『犯人のいない殺人の夜』(一九九〇年)は、東野圭吾さんが長篇『放課後』でデビューした年にあたる一九八五年から一九八八年までの最初期に発表された七篇をまとめた短篇集です(再読)。ちなみに、どこかのニュースで知ったのですが、昨年フジテレビ系列で放送された「木曜劇場 東野圭吾ミステリーズ」で本書に収録された作品がいくつか取り上げられていたそうです。もっとも、具体的にどの作品が取り上げられていたのかは、ぼくは視聴していなかったものですから、よくわからないのですが。
それはさておき、本書のレビューですが、作風は、『放課後』や『魔球』(一九八八年)を連想させる学園ものを扱った「小さな故意の物語」、若い夫婦間の確執をえがいたサスペンス「エンドレス・ナイト」、東野さんが大学時代にたしなんでいたというアーチェリーを題材にしたスポーツ・ミステリ「さよならコーチ」など、じつに多岐にわたっています。このことから、今日におけるおおかたの読者にとっては自明であろう東野作品の作風の幅広さは、このころから開花していたといっても過言ではないでしょう。
そのように作風こそ多様である一方で、収録作すべてに共通する意匠もあります。それは、“二段構えの真相”が用意されているところ。
特筆に値するのは、なんといっても“真の”真相のほう。警察によるひととおりの解決のあとで視点人物と犯人の間のみであたかも“秘めごと”のごとく取り交わされるペーソス漂うものであったり、被害者にゆかりのある視点人物の“心の内奥”を“毒針”でもってピンポイントにつつくようなシニカル極まりないものであったり、“探偵”がその胸に秘めたままにせざるをえない非常にシビアなものであったり……等々。ともかく形こそさまざまながらも、ひねりの利いた意匠が満載(とくに、異色作ともいうべき表題作のたたみかけるような仕掛けが強烈――ただ、ちょっとむりやり感もありますが)。
同時にまた、その多くの真相が、閉じられた空間および対人関係のなかで内密に処理される類型を踏んでいる点で共通しているうえに、後味のよさとは無縁の悲痛な終局を迎えるのは、傍目からはとらえるのが困難な生身の人間が織りなした心の綾模様の複雑さ、ともすれば野次馬連中が訳知り顔で披露しがちな通俗的で皮相的な善悪の二元論ではけっして把握することのできない人間心理の難解さを、作者が強調してえがいているからでしょう。
いずれにせよ、幅広い作風、不意打ちぎみながらも一筋縄ではいかない仕掛け、奥行きのある苦みの利いた人間ドラマと、東野らしさをたっぷりと味わうことのできる好短篇集だと思います。