アメリカの女性推理作家ヘレン・マクロイのベイジル・ウィリング博士シリーズの第六長篇『小鬼の市』(一九四三年)を読了。

 いやあ、凄い作品です。スパイ小説と本格謎ときミステリとが、みごと架橋されています。
 第二次大戦下のカリブの島国を舞台に、アメリカと敵対するドイツ、そして(タテマエでは)中立国スペインのスパイが、不審死をとげたアメリカの報道機関の支局長がのこした手がかり(暗号がちりばめられた本社宛ての電文、そして謎のことば「ゴブリン・マーケット」)をめぐって暗躍するさまが、サスペンスフルに展開。被害者の後釜にすわった謎めいたアメリカ人の主人公フィリップ・スタークと、勝気な女性特派員ミッチや、ミステリアスな現地の警察官ミゲル・ウリサール警部など、一癖も二癖もあるキャラクターたちの軽妙な、それでいて緊迫感にあふれた駆け引き、暗号解読の興趣、不審死をとげた記者がのこした手がかりを究明するスタークにふりかかる危機のかずかず、唐突なドイツの潜水艦攻撃など、息つくひまもないその結構は、幾何級数的なおもしろさ。

 とくに興味深いのが、その卓抜なスパイ小説的なサスペンスの効用です。たとえば、典型的な本格ミステリではよく、不可欠な要素として、発端の怪奇性(意外性)、中段のサスペンス、解決の意外な合理性、と三つにわけて挙げられますが、本書のばあいはその必要がありません。発端の怪奇性はともかく、サスペンスは中段どころか、解決篇に該当する探偵役による推理パートにまで浸潤し(その結果、みごとな推理を披瀝しているさなかの探偵役が、一転してある危機に陥ったりしている)、そこで探偵役によって意外な合理性が示され、犯人が特定されてもなお、幕引きが依然として不透明で、それこそ最後の最後まで予断を許さないという独特の筋立てになっているからです。
 
 もちろん、スパイの暗躍する大戦下、そして土着的な風習がのこるカリブの島国といった舞台の特徴をぞんぶんに生かしたツイストの利いた構成もおみごとですし、濃密な人間描写、描きわけが、犯人特定の重要な手がかりとなっているところも、マクロイならではの興趣に満ちみちている。
 そうか、こんなのも書けたのか。マクロイおそるべし! です。


 アメリカの女性推理作家ヘレン・マクロイの『家蠅とカナリア』(一九四二年)を読了。心理学的分析を持ち味とするベイジル・ウィリング博士の探偵譚をえがいたシリーズの第五長篇にあたります。
 
 本書はマクロイの代表作のひとつで、大戦下の劇場が事件の舞台、それも観客の面前で殺人がなされる、しかも容疑者は三人……という、大胆不敵でケレン味で横溢した劇場ミステリです。
 フーダニット(犯人当て)が謎ときの主要ポイントで、なんといっても、探偵小説マニアのあいだで語り草(?)となっている、一匹の家蠅と一羽のカナリアという突飛な手がかりによって犯人が特定されるという趣向が、独創的ですばらしい。
 でも、ぼくがそれよりもむしろ感心させられたのは、なぜ犯人は殺人を犯したのか? のホワイダニットの処理のしかた。ことに伏線が、一見なにげない言動のなかに複数、さりげなくも大胆に潜まされていて、該当箇所を読み返すと、あまりに微妙な部分での表現方法の巧妙さに、背筋がゾクゾクするような興奮をおぼえるほどです。
 
 しかし、それよりなにより本書が凄いと思うのは、演劇人たちのありようの個性的で、かつ精緻をきわめたマクロイの群像描写が、そのまま、この独創的な謎ときミステリの屋台骨となっているところです。つまり、ロジックよりもむしろプロット、そも劇場ミステリとしての完成度が、きわめて高いんです。じっさい、登場するキャラクターというキャラクターが、主要なのから端役にいたるまで、ことごとく個性的かつ魅力的で、印象に残るほどです。それはもはや、たんに主要キャラクターたちがおりなす舞台でくりひろげられる殺人劇、という次元を超越している。この作品じたいが舞台としてみごと成立していて、観客はこの作品の読者にほかならないんです。マクロイの筆力が冴え渡っている傑作です。


 アメリカの女流本格推理作家ヘレン・マクロイの第三長篇で、精神科医探偵ベイジル・ウィリング博士が登場するシリーズの三作めにあたる『ささやく真実』(1941年)を読了。
 後年、『ひとりで歩く女』(48年)や『殺す者と殺される者』(57年)など、サスペンスの傑作を多く手がけたマクロイですが、初期に書かれた作品では、純度の高い様式的な本格推理に挑戦していました。とりわけ本書は、マクロイの全作品ちゅう屈指の本格度を誇る作品として誉れ高く、事実、縦横にはりめぐらされた伏線と手がかりを駆使し、唯一無二の意外な犯人を照射するという、シンプルなプロットながら、無駄がなくディテールの詰まった、至高のフーダニットに仕上がっています。

 のみならず、このころからサスペンス性もじゅうぶん発揮されている。強力な自白作用がある怪しい薬を登場させ、それを自宅で開かれたパーティで悪用する富豪の美女クローディアと、その薬が原因で起きた悪夢的な暴露大会の被害者たちの構図が生みだす不穏なサスペンスが序盤から展開され、複雑な人間描写および心理描写に長けるマクロイのストーリーテラーぶりに舌を巻きます。しかも、事件発覚後、暴露大会の内容をあかすことを頑なに拒む、一癖も二癖もある登場人物たちがおりなす小サークルと、クールでスタイリッシュな精神科医探偵ウィリングの対峙のさせかたにも、マクロイは配慮が行き届いていて、それがレッド・へリングの操作、ひいてはラストの意外な犯人指摘の演出にいみじくも収束している。さらにいえば、ラスト一行の、どこか割り切れない、哀切をおびた犯人の独白の余韻。辛辣かつ犀利な人間観察に裏うちされた一筋縄ではいかない人間ドラマと、明朗な謎解きパズルのみごとな融合。こういう絶妙なバランス感覚は、マクロイならではと思わせてくれる秀作です。


 本業が大学教授に、アマチュア演劇の舞台演出、それから趣味が手品で、マジックの入門書も手がけていたというへイク・タルボットの賭博師探偵ローガン・キンケイドものの第二長篇『魔の淵』(一九四四年)を読了。
 英国の密室研究家ロバート・エイディーが「カーに匹敵する唯一の密室長篇をものした作家」と、このタルボットを絶賛。さらに、エドワード・D・ホックがアンソロジー『密室大集合』(一九八一年)を編むときにおこなったアンケートで、この『魔の淵』が不可能犯罪を扱ったベスト長篇の第二位に輝いた(なお、第一位がカーの『三つの棺』)という、知るひとぞ知る名作です。

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